2012年07月15日
●「美のワンダーランド 十五人の京絵師」関連イベント 山口晃トークショー「応挙こぼれ話」
九州国立博物館で開催中の「美のワンダーランド 十五人の京絵師」関連イベント山口晃トークショー「応挙こぼれ話」の聴講メモです。
演壇右手にホワイトボードを配したお馴染みのレイアウト。
まず、ハードルを下げるために一言。
応挙について何か新しい話をするわけではありません。
自分は華丸・大吉氏の前座。何でも良いからちょっと来て話せと。
「応挙」についてインターネットで検索して見つけたテキストが、実は来週講演される佐々木丞平氏(京都国立博物館館長)の論文でした。なので一週先に同じ文章を読むことになるかも。怖い人だったらどうしよう。
ただ読むだけでなく、チャチャを入れて話そうと。
(ホワイトボードに向けて黒ペンを振るとインクが点々と付く。)
意図しない線が良いですね。芦雪のよう。もっとも応挙はこういった線を嫌ったようですが。オブラートに包んで言うと、嫌な弟子だったでしょうね。
論文の題材である「萬誌」という見聞録には、応挙について175項目記されています。その内容は画論から画材まで幅広い。ですが論文では画材については省略されていて残念。
「人を描くときは猿のように描くのではなく、犬のように描きなさい。」
「鹿は馬のよう描くのではなく、羊を真似すべし。」
ジッと観察するのに向いているのでしょう。
論文に書いてないことを。
形(素形)を持ちなさいと言わんとしているのでは。
(素刑と書き間違えて)
刑といえば、猫刑にあってみたい。肉球がフニャッフニャッして悶え死ぬことでしょう。
(ホワイトボードに人の横顔の輪郭、猿の横顔の輪郭を描いて)
人は庇から上に前頭葉があるので膨らみ、猿はスパッと横に切れる。
(会場からオオーッという声)
良い反応ですね。
人間を元にすると、理知的な猿になる。
耳の位置が人と猿では違う。首のつながり方も違う。
漫画家の川崎のぼるは「馬が描ければ動物が描ける。」といったそうですが、鶏は?
まず基準を押さえて、それからバリエーションを覚える。
応挙=リアリズムというイメージがあるけれども、「実物を見ないで本見て描くと良いよ」といったりもする。「らしさ」に対する興味>真。
一筋縄ではいかないところがある。
同感できることも多い。例えば「人物はまず骨法から。」
これが全然できていないのが蕭白。肩の骨はどこにあるの?
形ができて、その上に意を盛り込む。
蕭白は反対に、意ばかり。
「画を望まば我に乞うべし、絵図を求めんとならば円山主水(応挙)よかるべし」
鼻につく上手さといえば、芦雪、栖鳳。西洋ではリューベンス。あんなに上手いのに、誰も立ち止まらない。
フェルメールは遠近法をどこか間違える。いや、光の表現が独特。形に沿わず、光に浮かび上がる。
(話を芦雪に戻して)近くで見ると墨、離れて見ると岩だったり猿の毛だったり。そういったイリュージョンが応挙は好きではない。「遠見の絵、近見の絵」と分ける。
職人仕事的で仕上げすぎ。
絶妙の間と語りで場内を沸かせる、あっという間の一時間でした。
参考:円山応挙の絵画論 : 『萬誌』を中心にして 佐々木丞平
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