2011年03月31日
●建築家 白井晟一 精神と空間@パナソニック電工 汐留ミュージアム
パナソニック電工 汐留ミュージアムで開催された「建築家 白井晟一 精神と空間」を観ました。
■序
チケットカウンターとなりに再現された書斎の風景。哲学者のような風貌を前面に出したビジュアルと合わせて、本展への期待が高まる。
■虚白庵
「無塵無窓」のテキスト、ゴロッと置かれた「ヴィーナス」、「書 日光」。それらが飾られた内観写真。濃密な思索の小宇宙に引き込まれる。
■書
本格的に建築を紹介する前に、書を紹介。人間「白井晟一」に焦点を当てる構成。
■住
住宅建築の紹介。洋と和の融合を試みる構成から、和空間の流れるような連続性へ。
■塔
厳密にボリューム設定された外観、マッスを刳り抜くような内部空間。
「親和銀行 懐霄館」。
彫塑のような外観が何より印象的。機能を超え、既存環境を超え、白井の内宇宙が形を得て現出する。学生だった頃にこの建物の写真集を観て、いつの時代の建物か、そして何の建物か分からなかったのを思い出した。
「NOAビル」。黒い円筒形の外観、刳り抜いたようなロビー。都内で体験できる白井建築その1。1階がギャラリーになっているので、内部も観られるのが嬉しい。以前に訪れたときは、傷みもあって神殿と廃墟の間のような感じだった。テナント部は普通のオフィスビル。
■原爆堂
実現を前提としない計画案。シンボリックな形態と祈りを込めたようなドローイング。本で何度も見た透視図の実物を初めて観た。哲学的な思索プロセスを大切にする白井建築における代表作。
■幻
デッサン、図面、今はなき建物の写真。思索の足跡を辿る展示。
■共
「松涛美術館」。都内で体験できる白井建築その2。美術館という機能に加えて、独特な造形性、空間構成をたっぷりと体験できるのが嬉しい。サロン・ミューゼ、再開して欲しい。
■祈
善照寺本堂。都内で体験できる白井建築その3。未見。今度行ってみよう。
■装丁
白井の想定家としての仕事。
エントランスホールでの映像。「日本のモダニズム建築 -17作家の作品が描く多様な展開」より、白井晟一の部分を抜粋上映。液晶TV前は立見が出るのほどの盛況。展覧会では乏しかった実空間の情報を補完
書、建築、装丁。多面的なアプローチで「白井晟一」像を浮かび上がらせる構成。特に冒頭の虚白庵に強く惹かれました。建築でなく、建築家に焦点を当てる見せ方は、展覧会ならでは。そしてその先に、言葉や写真で表しきれない白井建築の深みに触れるひとときがあるように思われました。「何を伝えたいか」を絞り込むことで、世界が広がる。展覧会の可能性を感じました。
その一方で気になるのは、現存する白井建築の少なさ。建築=長く残るモノと思っているので、この現状は残念。経済面から建て替えた方が効率が良いのか、白井の意図したデザインと実用の間に断層があるのか。NOAビルと松涛美術館を見る限りでは建物の老朽化が感じられるし、メンテナンスもかなり費用がかかりそう。
2011年03月22日
●生誕100年 岡本太郎展@東京国立近代美術館
東京国立近代美術館で開催中の「生誕100年 岡本太郎展」を観ました。
プロローグ:ノン!
導入部には、立体がズラリと並ぶ。独特の有機的で原始的で未来的(?)な、どこかユーモアを感じさせる造形。そしてあらゆることに「ノン」を突きつける。
《ノン》。大きな扁平頭に大きな口、小さな身体に強いメッセージ。カネゴンのようだ。
第1章:ピカソとの対決 パリ時代
修行時代がなく、いきなり始まる対決。彼の特殊な境遇を感じる。
《傷ましき腕》。大きな赤いリボン、皮膚が輪切りになった右腕。手には二本の黒線。首のない身体に、暗い背景。暗い道を一人歩く不安の表れなのか、時代を反映したのか。消失して再制作したほどなので、お気に入りだったのだろう。
第2章:「きれい」な芸術との対決 対極主義
「うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」衝撃的な言葉。
《森の掟》。青い背景、緑の森を、赤いからだに全身チャックのついた怪物が画面中央を跋扈する。何がなにやらわからないが、力強い。右にうづくまるメガネをつけた猿はどこかで見た気がする。何だっけなあ。
第3章:「わび・さび」との対決 日本再発見
一転して写真。彼の創作エネルギーに押されっぱなしだったので、ここで小休止。
《縄文土器》。刻まれたディテールを、陰影に富んだ表現で浮かび上がらせる。全体のフォルムには無頓着に思える。彼の視線に触れるようで興味深い。
第4章:「人類の進歩と調和」との対決 大阪万博
《太陽の塔》。「人類の進歩と調和」の場に提案する、原初の造形。お祭り広場の大屋根をぶち破るスケール。映像で観る岡本太郎の熱の入った語りと、それを聴く人のあきれた(あっけにとられた?)ような反応。
あれから40年。大屋根は遠になく、塔は改修されてピカピカに輝く。
第5章:戦争との対決 明日の神話
《明日の神話》下絵。全方位に突起を伸ばし、炎に包まれる白い人型。その向こうに、いくつもの黒い影。悲惨な現実と、それを超えてゆく力と。
第6章:消費社会との対決 パブリックアート、デザイン、マスメディア
「何だこれは!」。テレビの中で眼を見開き、大げさな身振りで持論を展開する岡本太郎。それに合いの手を入れて笑いを誘うタモリ。毒すら娯楽にするメディア。それでも記録は残る。
第7章:岡本太郎との対決
作家が最後まで描いた「眼」に囲まれる。
エピローグ:受け継がれる岡本太郎の精神
最後に作家の力強い言葉。
七番勝負を通して、作家のテーマ、視点を浮かび上がらせる構成はとてもよくできていると思います。またガチャガチャや言葉のお土産といった、娯楽性も兼ね備えている点も、幅広く観てもらいたいという気持ちが伝わってきます。
その上で自分の感想はと言うと、「よく分からない」。観れば観るほど重いテーマと向かい合っているように思えて、そんな簡単に分かった気になっていいんかい?と思ってしまう。明快でどこか割り切れない。そんな何かが残りました。
2011年03月21日
●若冲水墨画の世界@承天閣美術館
晴れた週末の土曜日、梅の花咲く相国寺境内を散策。
承天閣美術館で開催中の「若冲水墨画の世界」を観ました。目的はもちろん、全面修理が完了した伊藤若冲筆「鹿苑寺大書院障壁画」五十面一挙公開。
館内に入ると立ち込める、お香の匂い。体の芯から癒されます。そして第二展示室へ。
入って右手「月夜芭蕉図床貼付」。三之間床の大画面をさらにはみ出す構図で描かれた芭蕉の葉。見事な描写と迫力。
左手「葡萄小禽図床貼付」。若冲が手がけた4室+入口の中で最奥の一之間床を装飾。蹴込床と違い棚の側面を含めた立体的な面構成、縦横無尽に伸びる葡萄の蔓、垂れ下がる葉と実。クライマックスに相応しい小宇宙。
前記二点の常設展示奥のガラスケースから、障壁画展示が始まります。
「竹図襖絵」。入口にあたる狭屋之間に描かれた襖絵。画面左右に並ぶ節の太い算盤竹、画面上から垂れる三角形の葉。何かが違う、これから始まる小宇宙の序。
「芭蕉叭々鳥図襖絵」。「月夜芭蕉図床貼付」と合わせて観られる位置に、三之間襖絵。タッチがちょっとラフになった芭蕉、キノコのような岩形、マンガチックな丸眼の叭々鳥。あれ、なんか意外とノリが軽い?
「葡萄図」。こちらも「葡萄小禽図」と合わせて観られる位置に、一之間襖絵。虫食いのある葉、細かな蔓の描き分けが若冲らしい。
ガラスケースに沿って180度折り返す。
「松鶴図襖絵」。二之間襖絵は、跳ねるように勢いのある松の葉と、針金脚に魚竜のような相貌の鶴。後に続く葡萄と合わせて、若冲節全開な感じ。
「菊鶏図襖絵」、「秋海棠図襖絵」、「双鶏図貼付」。四之間を装飾した襖絵と貼付。若冲の十八番、鶏がお馴染みのポーズをとる。秋海棠は上部に余白を大きく取る控えめな構図。
そして最後に大書院間取図。ここでようやく障壁画の配置と順番が分かります。作品だけ観ても面白いですが、せっかくの立体作品。全体の構成を意識しながら観た方が、十倍楽しいです。ここで間取りを頭に入れて、書院内を歩くつもりで場面を見返しました。
修理が完了したとはいえ、障壁画はかなり傷んでいます。それでもこうして全画面を観られることは素晴らしいことだと思います。また全体から感じられる、敬虔な祈りに満ちた仏画の世界。やはり若冲は、芦雪や応挙といった商業画家とは違ったカテゴリーの人に思えます。旦那衆の道楽という経済的な側面もあるでしょうが、だからこそこんな世界を構築できたのでしょう。
これで第二展示室の半分。あとは若冲の他作品と工芸品。
林良「鳳凰石竹図」、伊藤若冲「鳳凰図」。手本となる鳳凰図と、それを写した若冲作品を並列展示。基本的に写しているが、肩を撫で肩にしたり、脚の曲げ角を急にしたり、尾羽を反対側に曲げてハートマークを加えたり。若冲がいかにアレンジしたかが分かって興味深い。
「群鶏蔬菜図押絵貼屏風」。活き活きとした鶏の描写。羽を顔の両横に上げて、顔を隠すような仕草に至っては、擬人化といっても良いほど。しかも羽は見事な筋目描。
第一展示室では「館蔵の名品展-書画と工芸-」を開催中。
長谷川等伯「探梅騎驢図屏風」。仏画師として出発しながら、絵師としての成功を求めて上京する信春。その大挑戦に、野心の大きさを思う。
2011年03月20日
●長沢芦雪 奇は新なり(前期)@ミホミュージアム
滋賀県にあるミホミュージアムで開催中の「長沢芦雪 奇は新なり」(前期)を観ました。
ミュージアムへのアプローチは、別世界へと誘うトンネル。今回は歩いてテクテク。
エントランスホールの先に広がるのは、一枚の絵としての空間装置。
そして北館2Fへと至ります。「長沢芦雪 奇は新なり」。音声ガイドを借りて、観る気満々。
第1章 温故知新・円山応挙に学ぶ
「松本又三郎宛書簡」。末尾に即興で描かれた男女。寛ぎつつ酒を飲むのは芦雪、お酌をするのは旅館の女中さん。楽しそう。
第2章 南紀くだる
人物像を軽くなぞったと思ったら、舞台は南紀へ。展開はやっ。
「牡丹孔雀図」。千人を超える応挙門弟の中でも、一、二を争うといわれた腕前!横構図は何度か観たけれども、縦構図は初めてで新鮮。
「七福神図」。釣りをしたり、大盃で酒を飲んだり。楽しげな七福神ご一行様。
第3章 大画面を好む
「蓬莱山図」。二年前に府中市美で観て以来の再見。砂浜に松林を大きくとった構図、浜を行く亀の行列、空を飛ぶ鶴の編隊、騎乗する仙人。記憶に残る作品。
「蹲る虎図」。うずくまった虎を正面から捉えた構図。大きな体と小さな顔、丸々とした輪郭線と眼を吊り上げ牙を剥く表情の対比。ユーモア漂う作品。
第4章 奇は新なり
本展タイトルを冠したコーナー。期待が膨らむ。
「群猿図屏風」。右隻は墨を垂らした岩山に腰掛けて下を睨む白猿。左隻は5匹の戯れる猿たち。左右の白黒、硬軟反転の視覚遊戯がとても効果的。
「唐子遊図屏風」。本展の子供向けガイドを務める唐子たちの元絵。鬼ごっこ(?)を興じたり、少し離れて遊んだり。可愛らしくも複雑なお年頃。
「竹に月図」。極端な縦長構図に、竹とぼかした月。現代アートのような切れ味。
第5章 芦雪をめぐる人々
第6章 迫力ある作品
第7章 奇想横溢
「白象黒牛図屏風」。プライス展以来の再見。若冲「象鯨図屏風」と対比した解説に、彼らの同時代性を感じる。象に烏、牛に子犬の取り合わせが可愛らしい。
第8章 多彩な表現
第9章 方寸五百羅漢
「方寸五百羅漢」。
本展の目玉、視覚遊戯の極致!わずか3.1cm四方に描かれた羅漢と動物たち。その描画道具と推定される天眼鏡も合わせて展示。解説を読んで、「あっ、虎がいる!」、「白象がいる!」とひとしきり。でもちっちゃい。
そして出口。あれ、ネコ虎は?山姥は?と思ったら、両者とももう少し先から展示でした。まだ冬季休館から目覚めたばかり、ウォーミングアップの段階です。
現代を席巻する「江戸絵画 奇想ブーム」。その立役者:若冲から、天才:芦雪へのバトンタッチなるか?その期待を胸に、再訪を期します。
南館1F、B1F。ルーバー越しの柔らかな光が空間を満たす。丸鋼のスペースフレームが効いてる。
時間の都合で「隼頭神像」のみを鑑賞。骨は銀、肉は金、髪はまことのラピスラズリ。溜め息。
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