2008年11月08日
●近代日本画の巨匠 速水御舟-新たなる魅力@平塚市美術館
平塚市美術館で開催中の「近代日本画の巨匠 速水御舟-新たなる魅力」を観ました。平塚市美を目指すのは実は二度目。一度目は人身事故で電車が大船で止まってしまい、時間切れ。泣く泣くUターンしました。会期終了前日にすべり込み。
展示は御舟の修行時代から始まります。「荒海」の海を菱形に紋様化するセンス、セザンヌを思わせる岩肌の質感。その早熟な天才っぷりは驚くばかり。
そして御舟の代名詞ともいえる、超細密描写へと突き進みます。「京の舞妓」。着物の布、壷の硬質感、団扇の紙貼り、畳の細かい目。その凄絶なまでの細密描写と、異様に顔色の悪い舞妓。ものすごいインパクト。そして不気味。「猫(春眠)」。こちらは可愛くてホッとする。「遊魚」。美味しそう。鮎の塩焼きが食べたい。「鍋島の皿に柘榴」。実物をこの目で見ても信じられないほどの描写力。絵のモデルになった皿と柘榴を見たとしても、絵の方を本物と思うであろうほどの確かな存在感と美しさ。ゾクゾクと鳥肌が立った。「秋茄子に黒茶碗」。色彩に頼らない黒と黒の組み合わせ。それでなお、目の前に茄子と茶碗があると思えてならない描写力。まさに神業。「樹木」。木に蔦が絡みつく構図。目を凝らすと、樹表の皮の一枚一枚が人肌のように見えてくる。起伏に富む幹は女体で、絡みつく蔦は男。画集では絶対に伝わらないであろう、御舟の目と手を通して再構成されたエロティックで深遠な世界。
風景画へ。「赤穂塩屋之景」。グラフィックな構成が決まっている。「京の家・奈良の家」。白、黄土、赤。壁を大胆な色彩構成に還元する。「晩秋の桜」。金地に桜紅葉、キツツキのワンポイントが決まっている。
外遊を経て、写生から解き放たれた新しい描画を模索するところで、突然の絶筆。その先に現れたであろう第二の成熟期を求めて、目は宙を彷徨ってしまう。
驚異的な観察眼と描写力、新しいモノに次々と取り組んでゆく意欲は間違いなく天才の域。ピカソや北斎が持ちえた強靭な肉体があれば、彼らと並ぶ画業をものにしただろう。逆に、才能と強靭な肉体が揃ってこそ天才と呼べるのかもしれない。
目の前にある世界を超えた世界を垣間見せる、アートの魅力を満喫しました。山種以外の御舟大集合で、見応え200%。来年山種で開催される「速水御舟展」と合わせてみれば、満足度は500%くらい行きそう。そういう面でも、必見の展覧会。
●大琳派展(後期)@東京国立博物館
東京国立博物館平成館で開催中の「大琳派展 -継承と変奏-」の後期展を観ました。混雑緩和を狙って金曜日夜に行きましたが、結構な人出でした。
第1章:本阿弥光悦・俵屋宗達。「月に兔図扇面」。大胆な画面分割と可愛らしい兔。遊び心と洒落っ気が効いたスマッシュヒット。「黒楽茶碗 銘 雨雲」、「赤楽茶碗 銘 峯雲」。観れば観るほど好きになる、ザックリ切った切り口と、艶やかな光沢、黒とオレンジのコンビネーション。よだれがでそう。「群鹿蒔絵笛筒」。金地に鹿が群れる細い円筒。素晴らしいセンス。「子日蒔絵棚」。立面、水平面に連続する装飾が素敵。気がつけば光悦ばかり。
第2章:尾形光琳・尾形乾山。「秋草図屏風」。胡粉テンコ盛り。「竹梅図屏風」。金地に滲みの全くない墨絵。腕?特殊処理?
第4章:酒井抱一・鈴木其一。「燕子花図屏風」。大きく円を描くような花の並びが美しい。抱一の優美さに酔う。「兔に秋草図襖」。板を斜めに張った襖。その斜め線が効果線のように効いていて動きが感じられる。「月夜楓図」。濃淡で表現された美。前期の「白蓮図」を思い出す。「波図屏風」。光琳の「波図屏風」に感動して描いたという抱一の傑作。光琳の夜の静けさに対して、強く強弱をつけた線で荒々しい海を描く。抱一本来の優美さから大きく離れた作風に、彼の感動の大きさを思う。後期一押しの名品。「蔓梅擬目白蒔絵軸盆」、「四季草花蒔絵茶箱」。抱一の優美さと蒔絵の豪華さが共鳴した傑作。欲しい。「夏秋渓流図屏風」。金線で描かれた水流、写実的な木々、異様に大きなユリ、二重楕円に幾何された笹の葉、金で塗られた地面。リアルとデフォルメが入り混じる画面と、美しい色彩。新しい表現に貪欲に取り組む其一ならではの意欲作。根津美術館でも見たけれども、相変わらずの迫力。「流水千鳥図」。幾何模様のような水パターンが美しい。「蔬菜群虫図」。パターン化して作り物っぽく描きながらも、画面から生き生きとした生命感が感じられる不思議な絵。若冲の絵との関連性が指摘されていて興味深い。
作品一つ一つに力があるので、見応えは十分。その一方で、全体を通したときのストーリー性は希薄。なんとももったいない、けれども行かずにはいられない展示です。