2008年08月10日

●いとうせいこう・みうらじゅん「見仏記」

 文:いとうせいこう、絵:みうらじゅん「見仏記」を読みました。冒頭、みうらじゅんが小学生の頃に作ったという”仏像スクラップブック”の異様な濃さで掴みは充分。紙面いっぱいに貼られた白黒コピーの仏像と、びっしりと書き込まれた手書きのイラスト+解説感想文+俳句(季語なし)。稚拙さは熱さの裏返し。夏休みの自由研究でこれのお寺版を作った(未完成。。。)身としては、もう恐れ入ってしまいます。

 奈良 興福寺・東大寺。メジャーどころからスタート。仏様を「ブツ」と呼び捨て、信仰心をばっさりカット。後に残るのは、純粋に仏像が好きなマニア心。お宝ゴロゴロの興福寺宝物館で邪鬼に愛情を注ぎ、仏をミュージシャンに見立て、塗装のはげをワビサビと見立てることに怒りを感じる。東大寺三月堂に至って、畳に寝転がって不空羂索観音を見上げる。仏様を観る目が変わってしまいそうなスタートダッシュ。

 奈良 法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起時・松尾寺。メジャーシリーズその2。法隆寺金堂で「住みたいよねえ、ここに」とつぶやくみうらさんはホンモノだと思った。百済観音から法輪寺へと至るあたりから、ちょっと冗長に感じ出す。何故かというと、僕は建物ばかり観ながらこの辺りを歩いたから。建物マニアにこの部分はちょっと退屈。

 京都 六波羅蜜寺・三十三間堂・東寺。「多数」のパワーで圧倒的な千体仏は、杉本博司さんの写真をハラミュージアムアークで観たばかりでタイムリー。

 東北 慈恩寺・立石寺、立花毘沙門堂・万蔵寺・成島毘沙門堂、毛越寺・中尊寺・黒石寺。伝来ミスで頭の小さな仏様が誕生した?全般的に不発気味。

 奈良 新薬師寺・五劫院・東大寺戒壇院・浄瑠璃寺。奈良第3弾、小粒でピリリシリーズ。個人的に評価の高い(土門拳の写真が好き)、新薬師寺十二神将登場!仏像メリーゴーランドにはまいった。やたら俗っぽい宣伝と、観光コースから外れる悲哀。そして浄瑠璃寺。「ロイヤルストレートフラッシュ持ってても負ける」九体阿弥陀の”揃っている強さ”を、「見たいリスト」に追加する。行くなら吉祥天開扉日がベスト。

 奈良 室生寺・当麻寺・聖林寺。女人高野は建物は何度も観ましたが、仏像は金堂しか覚えていません。もったいないことをしたものだと反省。当麻寺も水琴窟は聞いたのに。。。

 奈良 薬師寺・唐招提寺・西大寺。メジャーシリーズその3。余談の「仏像を美術として見る旅は、ガイジンの真似として始まったと言えそう」という指摘になるほどと思った。「我々にとっての観光は、元来ガイジンの目で日本を見るべく出来ていた」から「鑑真を招来した天平の頃から変わっていない。」と結びつける飛躍がステキ。

 九州 東長寺・大宰府・観世音寺・天満宮・大興善寺。九州遠征。観世音寺の馬頭観音を見たいリストに追加する。「なぜ仏(ブツ)は(九州に)根付かなかったんだ」?

 九州 龍岩寺・真木大堂・富貴寺・神宮寺。九州遠征その2。龍岩寺は岩に張り付いたお堂らしい。そういえば、三仏寺投入堂も未踏だった。真木大堂の大威徳明王はすごいらしい。観世音寺の馬頭、不空羂索とトリオを組んで、是非東博へお越し願いたい。無理なら九博あたりでも。。。

 京都 神護寺・清涼寺・広隆寺。クライマックスで登場するのは広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像。でもその前の十二神将のところの「やっぱ、藤原時代から劇画感覚入るね」という言葉から、俄然見たい気が上昇する。

 京都 大報恩寺・泉涌寺・平等院鳳凰堂。クライマックスその2。建物と一体で観る仏像。鳳凰堂の窓から覗く阿弥陀様の顔、小学校の遠足で行ったなあ。極楽浄土の再現を今観たら、どんなことを思うだろう。

 抜群のスタートダッシュで観る者を引き付け、あっという間にゴール!かと思ったら、意外と時間がかかりました。仏(ブツ)と呼び捨てる言い回しや、ミュージシャンへの例えが今一つしっくり来なかったのが原因でしょうか。「ガイジンの目で見る日本」というフレーズを始め、読みどころも多数あり。著者のノリが好きな方と、カジュアルに仏様に接したい方におすすめします。

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2008年08月09日

●町田久美-日本画の線描@高崎市タワー美術館

 高崎市タワー美術館で開催中の企画展「町田久美-日本画の線描」を観ました。
 第1部 日本画の線描。小川芋銭「山村春遍・秋浦魚楽」。すっかりお馴染みの河童の芋銭が描く、のどかな田園風景。北関東には欠かせない画家。吉川霊華「王仁」。渡来人「王仁博士」!子供の頃、王仁公園によく泳ぎに行きました。吉川霊華「不盡神霊」。左右の人物が精度良く縮小されていてコピーのよう。蔦谷龍岬「御堂の朝」。大きくて見応えあり。中村岳陵「童謡」。マイルドな蕭白。安田鞭彦「かちかち山」。安田版鳥獣戯画。絵物語。

 第2部 町田久美。近代日本画から現代へとつなぐ構成は秀逸。スタッフの方もとても親切で好印象。細い線を重ねて生み出す強い線。単純で力強い構成に見えて、繊細で不気味。その明るくザラザラした感触が絵に唯一性をもたらす。他方、絵の価値が一緒に暮らせるかどうかだとすると、この絵は私にとって対象外。心地良さだけが価値ではないと思いつつ、どうにも入りこめないもどかしさが残りました。

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2008年08月07日

●「觀海庵」落成記念コレクション展-まなざしはときをこえて@ハラミュージアムアーク

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 ハラミュージアムアークで開催中の「「觀海庵」落成記念コレクション展-まなざしはときをこえて」を観ました。ハラミュージアム初訪問。黒いボリュームが放射状に伸び、三角屋根のトップライトが載る外観が、緑のマウンドに映えます。

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 グリーン牧場内にある不思議な立地。対面のレストランで、ミュージアムを眺めながら腹ごしらえ。素晴らしく心地良い。

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 フェデリコ・エレーロのアートワークを横目に眺めながら、一路「觀海庵」へ。そのアプローチ上には横尾忠則さんのアートワークも展示してあって、建築と自然とアートのバランスが素晴らしい。

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 黒い回廊のその先が「觀海庵」。
 入口を潜ると、アニッシュ・カプーアの漆黒に吸い込まれそうなオブジェが迎える。受付には杉本博司の三枚の写真。そして回廊沿い壁側にマークロコスの赤とヤンファーブルの青。反対側には丸山応挙「淀川両岸図巻」。両岸を両側から眺めるように描く独特の構成、豆粒のように細かな人人人。横長のガラスケースを両側(廊下側と展示室側)から眺められるように置く配慮。角を曲がって、森徹山「百鶴図屏風」。トップライトから取り込んだ光を柔らかに拡散させて、壁面を満たします。屏風の間にちょこんと置かれた小さなアクリルのオブジェは倉俣史朗。さらにそこに生けられたオブジェは。。。答えはその対角上にあります。さらに角を曲がって狩野永徳「虎図」。永徳?という気もしますが、目を細めて寝る虎が可愛い。その横の飾り棚には上段に須田悦弘「枇杷」、下段左に浪に「千鳥蒔絵堤重」、下段右にキーンホルツの壊れたレトロテレビ(?)のようなオブジェ。古と今、美と儚さ、技と素材。自在な選択と絶妙の構成。最後の角を曲がって、狩野探幽「龍虎図」。その左につつましく草間彌生「かぼちゃ」。水玉の棚におさまったお馴染みのかぼちゃが可愛らしい。草間さんの強烈な個性を巧みに抑えて可愛らしさを引き出すキュレーションは絶品。右に「軍配に鉄仙蒔絵刀筒」。さりげなく添えられた「鉄線」は須田悦弘。その完璧な調和は一体のものかと思うほど。展示室の中央にはイブクライン「青いスポンジ」。その陰影に富んだ深い青は、空間の要に相応しい。

 本展の監修は設計者でもある磯崎新さん。その古今を自在に渡る構成は素晴らしく心地良いです。肩肘張らず、大げさなポーズもとらず、ただ流れるように美の相乗効果を楽しむ至福のひととき。さすがです。

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 現代美術の三つのギャラリーは、半屋外スペースをコアに三方に伸びます。その間からは、屋外作品が点在する緑の景色。ギャラリー内には名和晃平「PixCell [Zebra]」、「Pixcell-Bambi #2」、奈良美智「Eve of Destruction」、草間彌生「ミラールーム(かぼちゃ)」、束芋「真夜中の海」等など、見応えある現代アートがズラズラ並びます。ハラミュージアムとは違った形で展示されている作品も多々あり。心底、アートに溶け込むような気がします。

 「觀海庵」の向こうには更なる増築計画があるそうです。どんな場所へと変化するのか、今から楽しみです。

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2008年08月05日

●特別展「対決 ―巨匠たちの日本美術」記念講演会 美と個性の対決

 特別展「対決 -巨匠たちの日本美術」記念講演会 美と個性の対決を聞きました。「奇想」ブームの仕掛人、辻惟雄先生登場!

 内容が決まっていなかったので、曖昧なタイトルにした。12組24人分話すと一人3分ほどになってしまうので、1組に絞って話すことに。取り上げるのは伊藤若冲と曽我蕭白。

 伊藤若冲。光琳が亡くなった年に生まれる。新興商人階級。京都錦小路の青物問屋枡源の跡取り。新しい層にも芸術を楽しむ人が出てきた。23歳で家業を継ぎ、40歳で隠居。女性が苦手か、生涯独身。相国寺大典禅師によると、売られるスズメが可哀想と全羽買って庭に放す。芸者遊びをしない。ただ、絵が好きだった。人間嫌いか、人物画は上手くない。花鳥画に絞る。中国では写生が流行っていると聞き、庭に鶏を放って写生。40で家督を譲ってデビュー。
 「虎図」。正伝寺の伝毛益筆虎図を模写。見事にデザイン化していて、元絵よりも良い。
 「旭日鳳凰図」。尾羽のハート。
 「動植綵絵」。去年公開したこともあって、借りられず。「梅花小禽図」。若冲独特の淡いイメージ。「南天雄鶏図」。火の粉が背中から落ちてくる怖いイメージ。「棕櫚雄鶏図」。画面左上に穴が開いている。向こうからこちらを見ている気になる。「群鶏図」。山下清。「老松鸚鵡図」。ドラッグ?サイケデリック。
 以降、「野菜涅槃図」、「仙人掌群鶏図襖」、「菜蟲図巻」、「石灯籠図屏風」を経て、「石峰寺本堂天井花卉図」へ。現在は信行寺蔵。非公開だが、複製を作って公開するという話もある。水仙のダンス。

 曽我蕭白。蝦蟇仙人に見られる、水木しげるのようなユーモア。二人が並ぶと、残念ながら蕭白の筆に若冲が押される。蕭白は下品で字も下手。こういう人が登場できる時代になった。
 30歳の作「久米仙人図屏風」。蕭白の作品は、ボストン美術館が大量に購入した。日本での知名度の低さの一因かも。
 「寒山拾得図屏風」。エキセントリック。「寒山拾得図双幅」。妖怪仕立て。「達磨図」。白隠の影響?村上隆「目を見開けど実景は見えず。ただ、己、心、凝視するばかり也」は本作の現代的再生と思える。なかなかの迫力。「雲龍図」。クローズアップによる怪獣出現に似た迫力。
 「群仙図屏風」。これは面白い。怪作。まともな神経で描いたとは思えない、ギリギリのところで成立する面白さ。「唐獅子図」。壁から剥がした際に墨が薄くなったのが残念。筆使いの荒々しさは残っている。酒の力を借りた滅茶苦茶な絵。堂々とした構成力。「商山四皓図屏風」。何年かして、大ボストン展で来ると思う。期待して下さい。「月夜山水図屏風」。気味が悪い。「石橋図」。谷に落ちる犬、崖を登る犬の群れ。無数の犬。上手く描けている。
 蕭白の絵は偽物が多い。人気があった証拠。若冲「朱衣達磨図」は蕭白の絵を若冲がからかって描いた絵か?両者の交友を示すかも。

 質疑。「蕭白は鬼才だと思いますが、後世に与える影響といったことを考えると巨匠といえるのでしょうか?」
 蕭白、そして若冲もどちらかというとインディペンデント。巨匠というのは言葉のあやの部分もある。はじめは「巨匠名匠 対決展」としようと思ったが、「巨匠」だけにした。どうしたらお客さんがたくさん来てくれるかを考えて、対決形式にした。蕭白の場合、「成り上がってきた大物」といった方が正しいかも。ごちそう山盛りの展示になった。

 上記は私の質問です。前回の講演会で気になったことを、そのままお聞きしました。辻先生の蕭白好きがヒシヒシと伝わって来ました。

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2008年08月04日

●ルオー大回顧展@出光美術館

 出光美術館で開催中の「ルオー大回顧展」を観ました。

 I 初期のグワッシュ・パステル・水彩画・油彩画(1897-1919)。「サロンにてI または 劇場にて」。「作品そっちのけでしゃべりに夢中な婦人たち」という解説文が、お隣でお喋りに夢中なご婦人たちの一行にぴったりで可笑しかった。サロンってこんな感じなんだ。数点の水彩画を経て、あっという間にルオー独特の、太い輪郭線で色彩を縁取る世界へ。素人目には、以降画風は変わらないように見えます。専属画商との出会いと合わせて、絵画制作に没頭する人生だったのかと思います。

 II 中期の油彩画(1920-1934)。「磔刑」。単純化され太く描かれたパーツ群がネオンみたい。「アニタ」。黒く太い輪郭、青いバック、煉瓦のような色彩。濃厚で雑然、心に残る絵画世界。

 III 銅版画集《ミセレーレ》と版画集。《ユビュおやじの再生》。ミセレーレの出版と引き換えに引き受けた仕事。薄く積層した透明感あるマチエール。銅版画集《ミセレーレ》。後期は第2部が展示中。「法は過酷、されど法」。モノクロの塑像のよう。

 IV 連作油彩画《受難》と色刷版画集。連作油彩画《受難》。「受難」、「聖顔」。透明感ある積層から、絵具を盛り上げた立体的な世界へ。黒が沈んで谷のよう。黒く隈取られ、ホッペが膨らんだ顔。「燃ゆる灯火の芯のごとく…」。人のきらめき。奥に引き込まれる。「ここに、一つの世界が幕を下ろして消え失せ、別の世界が生まれる」。三つの十字架。劇場版エヴァンゲリオンのラストシーンを思い出す。そういえば、新劇場版の第2作はどうなったんだろう。「マリアよ、あなたの息子は十字架の上で殺されるのです」。こちらもエヴァ。「出現」(墓からでるキリスト)。復活!手を広げるキリスト、歓喜する人々。「聖顔」。正方形の画布。

 V 後期の油彩画(1935-1956)。「バッカス祭」。セザンヌを髣髴させる画面。前期にも水浴が2枚あったので、生涯ゼザンヌを敬愛していたのだろう。「キリスト(とパリサイ人たち)」。目を伏せるキリスト。左に目を見開く兵士。「受難(うつむいた)」。黒い涙を流すキリスト。「たそがれ または 鐘楼」。ムンクの街。「聖書の風景」。絵具の盛り上がりが藁積みのよう。

 黒く太い輪郭線と立体作品の如き色彩の盛り上がりが作り出す、圧倒的かつ原始的なパワーを感じる一時でした。

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