2008年07月31日
●特別展「対決-巨匠たちの日本美術」記念座談会
「対決展」を俄然面白くするイベントの一つ、「記念座談会」を聴きました。第一部「巨匠対決のみどころ」、第二部「放談 巨匠対決」の二部構成ですが、目当ては当然二部。
第2部 「放談 巨匠対決」
司会:松原茂(東京国立博物館上席研究員)
パネリスト:河野元昭(『國華』主幹)、水尾比呂志(『國華』名誉顧問)、小林忠(『國華』編集委員)
対決というタイトルについて
河野:明治20年の創刊以来2008年で119年、数えで120年。学術雑誌として研究の蓄積を活かした展覧会であるべきという一方で、日本美術への関心の高まりを踏まえて、観て楽しい展覧会であるべきと考えた。その結果、「対決」に決まった。
対決の選択について
水尾:(せっかくの機会なので)無名の大家を作ったらどうかと思った。しかしそこまで対象を広げるのは不可能なので、巨匠、名匠に限った。
実現しなかった対決
小林:北斎vs広重。日本美術を振り返るには、浮世絵から二つは差し出がましい。空海vs最澄。展示が平安時代まで遡れて好都合。だが二人を巨匠と呼ぶのは差し出がましいと思った。
注目の対決 (各先生が担当された対決)
水尾:永徳vs等伯。永徳の細かい描写の代表作、洛中洛外図屏風。信長から上杉へ渡った作品。祇園祭の山鉾巡行も登場。等伯の楓図。以前はお堂に飾られていたが、今は収蔵庫に納められている。ともに残念ながら借りられず。長次郎vs光悦。名椀を一堂に見られる機会。長次郎「黒楽茶碗 銘あやめ」、光悦「白楽茶碗 銘不二山」があれば完璧。残念ながら借りられず。長次郎は侘び茶の精神の体現、光悦の造形能力。
河野:宗達vs光琳。風神雷神図屏風は最後の一週間のみ登場。是非もう一度来て下さい。宗達は町絵師。レディーメイドの絵を売っていた。扇屋だったという説もある。その才能が認められて、法橋まで上り詰めた。水尾先生の名作「扇面構図論」。ユーモアの宗達vsシニカルな光琳の美の対決。光琳は風神雷神図の表面に法橋光琳と書いた。新しい時代が来ていることを体現している。
若冲vs蕭白。辻惟雄「奇想の系譜」、昭和43年著、出版は45年。新しい時代への欲望が開いた時期に書いた。蕭白は縄文、若冲は弥生。寒山は火焔土器、石灯籠は弥生。
小林:國華の前の主幹は辻先生。最近、河野先生と歩くのが恥ずかしいといっておられる。辻先生の紹介で東博にいたとき、群仙図屏風を買う機会があった。上司の「あんな下品なもの」という一言で、一瞬にして逃した。大雅vs蕪村。それほど親しくなかった。ある収集家(?)の企画で十便帖十宜帖が実現した。全部を展示できないので毎週入替。歌麿vs写楽。ポッピンを吹く娘。
最後に一言
河野:応挙vs芦雪。師弟対決。写生vs個性。虎対決。ずっと出ているので、今日観れば充分?でも、また来て下さい。
水尾:対決が蔓延しすぎ。対決は河野先生の発想。対決をもっと広い意味(弟子、全く知らない同士等)で捉えて欲しい。
河野:チラシを見て下さい。対決が一目で分かるよう名前を並べました。相撲の星取表を付ける感覚で見て欲しい。
小林:鉄斎vs大観。雲中の富士に祝福されて会場を出て欲しい。組み合わせを変えて見ても面白い。
始終ニコニコと活発に発言される河野先生、重みのある雰囲気で國華の威厳を体現する水尾先生、丁寧な言葉遣いで良識を司る小林先生。三者三様の明確なキャラ立てで、とても楽しい座談会でした。惜しむらくは二部構成としたことで時間がとても限られたこと。でもライブ感覚で面白かったです。
●東京アートツアー 乃木坂
東京アートツアー二日目のラスト。日本の夏に浸った後は、西洋絵画。国立新美術館で開催中の「ウィーン美術史美術館蔵 静物画の秘宝展」を観ました。日本絵画は空間に溶け込み、西洋絵画はとても大切な装飾の要素という気がします。
西洋絵画を見る際に気になるのが、依頼主の存在と絵のモチーフ。王侯貴族から裕福な商人、そして庶民へと依頼主層が変化してゆくにつれて絵のモチーフも変化してゆきます。そして約束事で縛られていた画面が解放されてゆきます。絵の知識がないので、そこをパラメーターにして観るのが最近のパターン。もちろん専門知識はないので、今回は展示ホームページ上の解説「静物画の秘密を読み解く」で軽く予習をしました。今回はコレクターの方と一緒に観たので、その視点も興味深かったです。
「第1章 市場・台所・虚栄の静物」。どうして解体された牛といった画題を選んだのだろう?という疑問に、台所に飾るからでは?といわれ、ちょっと目からウロコ。家中に絵を飾るとすると、色々な題材の絵が必要になるわけですね。アントニオ・デ・ペレダ・イ・サルガド「静物:虚栄」。細やかにリアルに描き込まれた華やかな装飾品と死の暗示対比。天使の羽も美しい。描き手の技量によってこうも絵が変わるものかと驚く。
「第2章 狩猟・果実・豪華な品々・花の静物」。コルネーリス・デ・フェーム「朝食図」。とても瑞々しい果物の描写。オイスターのリアルさもすごい。やはりダイニングに飾ったのだろうなあとその情景を思い浮かべる。ヤン・ブリューゲル「青い花瓶の花束」。細密、バランス、鮮やかさ。花卉図の定番。彼とその前に並ぶアンブロシウス・ボスハールト「花束」が花卉図を完成させた二大画家と聞いてフムフムと見入ってみた。
「第3章 宗教・季節・自然と静物」。ヤン・ブリューゲル、ヘンドリク・ファン・バーレン「大地女神ケレスと四大元素」。女神を囲んで四大元素を描いた本作、でも一つ欠けている。解説とは少し違う解釈の謎解きに、しばし迷い込む。
「第4章 風俗・肖像と静物」。ペーテル・パウル・ルーベンス「チモーネとエフィジェニア」。豊穣で美しい色彩に漂う怠惰な情感。やっぱりリビングに飾ったんだろうなあ。大胆だこと。ヤン・スーテン「農民の婚礼(欺かれた花婿)」、ヘーラルト・ダウ「医師」。ともに上手い!
最後に満を持して、ディエゴ・ロドリゲス・シルバ・イ・ベラスケス「薔薇色の衣装のマルガリータ王女」。細密画を観てきた後だけに、意外と粗い筆遣いにちょっと戸惑う。定期報告用に描かれた肖像画という解説を読んでビックリ。どうにも入り込めず。
見応えのある絵が何枚かあって、「絵を観た」という心地よい満足感に浸りました。WEB上での丁寧な解説や、ミッドタウンでの割引サービスと、イベントとしてのバランスが良いです。
2008年07月30日
●東京アートツアー 日本橋、原宿
日本橋に移動して、三井記念美術館へ。ここに来ると、三井ブランドの肝は、表層デザインに一手間かけるところだと感じます。呉服屋のDNAなのでしょうか。そして「ぐるっとパス」デビュー!「特別展 美術の遊びとこころIII NIPPONの夏」を観ました。美術品で辿るNIPPONの夏の楽しみ方。
I. 朝の章 ~朝顔と涼の粧い~。冒頭に鈴木其一「朝顔図」。当日朝の日曜美術館で何故に其一?と首を捻りながら其一特集を見ていたので、「おお!」と思いました。放送中にここで公開中と一言入れてくれればいいのに。たらしこみの葉、朝顔の青が美しいです。葛飾北斎「夏の朝」。足元に朝顔、金魚の細かい描写。蒸し暑い日本の夏を涼やかに感じる感性。
II. 日盛の章 ~涼を求めて水辺へ~。円山応挙「青楓瀑布図」。サントリーで見逃した滝に、こちらで初対面。昨日は「保津川図屏風」、今日は「瀑布」と応挙大人気。縦長構図の画面に青楓が涼を誘います。もっとも、個人的には縦構図の滝はプールみたいで今一つ。庭園へと流れ出る、金刀比羅宮表書院の滝が思い出されます。
~夏のデザイン~。「櫛・簪・紙挟み・楊枝入」。リアルで動きのある動物たち。蟹がチョッコリのった櫛(だったかな)が可愛い。「色ガラス棒虫籠」。オシャレなガラス棒製の虫かご。見ているだけで涼やか。
~涼のうつわ~。「ぽっぴん」。対決展で見た、歌麿の美人画を思い出します。放談で小林先生が触れておられて印象に残っていました。
III. 夕暮の章 ~夕立と夕涼み~。喜多川歌麿「寒泉浴図」。背中のピンクが色っぽい。さすが歌麿。祗園井特「納涼美人図」。濃いめの顔つきと細かい描写が印象的。歌川国貞「両国川開図」。人でいっぱいの橋、待ちに待った川開き!といった風情。実際の人ごみは苦手ですが、絵で見る風景はとても楽しげ。
IV. 夜の章 ~夏夜の楽しみ方-舟遊び、花火、蛍狩~。蹄斎北馬「納涼二美人図」。優雅に船で寝そべる二人。
江戸の夏にまぎれこむ一時。肩が凝らずに楽しめます。千疋屋総本店 日本橋本店で食べたマンゴーソフトクリームも美味しかった。東京メトロ一日乗車券で割引あり。
その一日乗車券で足を伸ばして、太田記念美術館へ。「江戸の祈りと呪い」展を観ました。浮世絵を題材に、祈り、呪いの道具、風景を紹介します。名所江戸百景等は以前の展示解説の使いまわしですが、夏の日に浮世絵は相性が良いです。まったりと鑑賞、おみくじも引いて、ちょっとした縁日気分を味わいました。ちなみに運勢は末吉。
2008年07月29日
●東京アートツアー 竹橋
週末東京アートツアー二日目は、竹橋から。
東京国立近代美術館で開催中の展覧会をハシゴ。
「カルロ・ザウリ展」。イタリア現代陶芸の巨匠の回顧展。視覚的なインパクトを優先しているのか、展示作品が時系列に沿っていないことに戸惑う(作品リストは時系列順)。
I 1951-1956。マジョリカ陶器の美しい青。III 1962-1967。壷、皿といった名称をボリュームとしてのみ残しつつ、釉薬、表層、形態を追及してゆく変化。陶芸という言葉にこういう世界が含まれていたことを知る。光悦みたいだ。IV 1968-1980。ボリュームの捉え方に建築的な要素が垣間見える。「地中海の形態」とか。ひたすら実験を繰り返し、結果としての形態に名を与える。琳派に似てる?V 1981-1991。更に変化を続けるその先。「歪められた欲望」のぺしゃんこの形態が印象的。VI グラフィックタイル。ミクロなパターンでマクロな空間を覆うダイナミズムへのツール。最近流行ってる。並べるとどういった効果を生むのか観てみたかった。
「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」。青森県美への予習のつもりで観る。それにしても何故に二人展?
青木淳はスタディ模型に自身のコメントを添える形で、プロジェクトの検討過程を綴る。「カメラ」といった、本来のプランニングとは関係ないキーワードを巡って繰り返される思索の軌跡は、確かに興味深い。そして始まりも成果も示さず、スタディ模型で始まりスタディ模型で終わる構成からは、「過程の一部を取り出した」感が強く現れている。
ペーター・メルクリは実在のプロジェクトとは直接関係ないというドローイングの数々が並ぶ。それに学芸員のかたのコメントが添えられています。どういうわけか、これがどうにも馴染めず興味を失った。
クイーンアリス・アクアで早めにお昼。テラス席から見える皇居の緑、青いグラスとペットボトル、美味しい食事。近美の迷走と対照的な、計算し尽くされた演出。
2008年07月28日
●東京アートツアー 東博
先々週末は一日、東京国立博物館三昧でした。
待ちに待った特別展「対決-巨匠たちの日本美術」展初鑑賞。
12組の対決という掴み易いキャッチコピーに合わせて展開される、豪華絢爛日本美術通観展。キャラ的にはやはり永徳vs等伯がいちばんしっくり来ます。
運慶vs快慶。出品作の都合で地蔵菩薩対決。このジャンルに絞れば、赤く唇さし、薄手の着衣を纏い、波型台座に乗る快慶仏に軍配を上げます。質実剛健な鎌倉彫刻の覇者、運慶の造形ももっと観たかったですが、そちらは大日如来でどうぞという趣向。運慶像も展示中。
雪舟vs雪村。ともにこれが室町?という驚きに満ちた絵画。雪舟「梅花寿老図」で梅の冠を抱くような構成、濃い老人の顔立ちで軽くジャブ。雪舟「慧可断臂図」の濃厚でリアルな表情、赤く塗った唇。慧可の胡麻塩頭も撫でてみたくなる出来。風景画に通じる洞窟の描画と、達磨の輪郭を薄墨でなぞる描法。今観ても古さを全く感じさせない不思議な絵。雪村「呂洞賓図」。大きく腕を開き、全身で龍と向かい会う仙人。頭からは龍が立ち上る。見得きりポーズがピシッと決まる。カッコイイ。こちらもとても現代的。これで山水図があれば完璧と思ったら、後期に出展とのこと。雪舟あっての雪村という理由で、雪舟に軍配。
永徳vs等伯。あっという間に安土桃山時代。永徳「松に叭叭鳥・柳に白鷺図屏風」。新発見!若き天才の筆裁きの見事さ。永徳「花鳥図襖」軽やかにリズミカルに咲く梅の見事さ。「洛外名所遊楽図屏風」。緻密に書き込まれた細部からは、絵画大好き青年永徳の面影が伺えます。一気に下って最晩期「檜図屏風」。ねじくれのたうつ幹と枝。相変わらずの迫力と狂気。この絵を持って新しい時代の幕開けという音声解説はどうかと思った。等伯「松林図屏風」。巨匠同士の文字通りの対決。ともに悲しみを秘めた大作なところが、少々寂しくもあり。今回は永徳に軍配。2年後(?)に京博で開催される「等伯展」に期待を持ち越し。
長次郎vs光悦。利休の目指す茶道のために実直に製作する長次郎と、才気の閃きのままに釉薬を操る光悦。光悦「黒楽茶碗 銘時雨」の内側だけ施された釉薬の艶かしさ。光悦「赤楽茶碗 銘加賀光悦」の刷毛目遣いによる掠れ、微細なひび割れ。光悦「舟橋蒔絵硯箱」の大きく盛り上がった形態に海苔巻きのように太い帯。光悦筆宗達下絵「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」の流れるような絵と書のコラボレーション。光悦の才気にメロメロ。
宗達vs光琳。宗達「松図襖」。新しいモードを作り出す明確な意思。宗達「蔦の細道図屏風」。噂の名画と遂に対面。大胆な画面構成と色彩、どこから道でどこからが蔦かと迷う不思議な構成。光琳「白楽天図屏風」の緑の山うねうねな構図と三角形の波。光琳「菊図屏風」の胡粉テンコ盛りの表現。常に新しい技法に取り組む貪欲な姿勢は互角、天賦の才は(今回の展示に関しては)圧倒的に宗達。
応挙vs芦雪。芦雪「虎図襖」。どう見ても猫なのに、目が離せない虎。その大きすぎる前足、つぶらな瞳。応挙「保津川図屏風」。白糸の滝が美しい絶筆に、一年を置かずに再会。写生に重きを置き、真摯な姿勢で絵画に取り組む姿勢は応挙。写生だけでは踏み込めない領域に踏み込む勢いでは芦雪。キャラ愛好の現代を反映して、わずかに芦雪。
若冲vs蕭白。今をときめく奇想対決。若冲「仙人掌群鶏図襖」。一年に一度しか公開されない襖をありがたく鑑賞。異形のサボテン、お得意の群鶏。これだけでも観る価値あり。蕭白「群仙図屏風」。辻ワールドの代名詞、遂に登場。コッテリかつ色鮮やかな画面。美醜の境界が揺らぐ、俗っぽく濃密な仙人たち。その異形の世界を描き切る技巧と執念はすごい。蕭白「唐獅子図」。墨の描画も巧み。そのしかめっ面は脳裏に焼き付く。今回の展示作だと、その濃厚なインパクトで蕭白。でも蕭白は一代限りの鬼才に思えるので、後世への影響も含めて評価されるべき「巨匠」という位置付けは疑問。時代と共に移ろう「美の評価軸」が、キャラモノに振れた証と捉えるべき?
「「国宝展」に比肩する展示」との評判に違わぬ内容に満足です。
東洋館前のオープンカフェで一息入れて、記念座談会「放談 巨匠対決」を聞く。キャンセル待ちの列が出来る盛況に、日本美術ファンの層を感じる。内容については別エントリーにまとめます。ちなみに8/2の記念講演会「美と個性の対決」は落選。残念無念。
「レストラン ラコール」で一休み。お昼も東博、おやつも東博。
表慶館「特別展 フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重」。絵付テーブルウェアと、その元絵の浮世絵等との並列展示で観るジャポニスムの影響。丸皿に広重の浮世絵を上手く取り込んだ作品が良かった。暁斎の作品を元にしたものが多数あったのが印象的。
本館「特集陳列 六波羅蜜寺の仏像」。冒頭の「僧形坐像(伝平清盛)」の写実的な表現に目を奪われる。これが清盛か。手に持つのは厳島の奉納した写経だろうか。「地蔵菩薩立像」の前垂れの細やかな細工、彩色、優美な造形。さすがにお美しい。「薬師如来坐像」のちょっとお顔の大きめなプロポーション、部分的に残る金色の彩色も、高貴でありながら親しみが湧きます。「伝運慶坐像」は、勇壮な造形とはちょっとイメージが違った。息子の「伝湛慶坐像」の方が良い男。どちらもパワフルそう。「閻魔王坐像」の首が胴に埋まったボリュームのとり方が迫力あり。
おとなりの部屋で、話題の大日如来像の横に鎮座する「十二神将立像 巳神」。柔和な仏様と対照的に、恐ろしい表情。特に目が怖い。最後に観たこともあって、本日のイチオシ。
帰り道。不忍池の弁天堂参堂に夜店が並ぶ。日本の夏!
2008年07月09日
●金沢21世紀美術館
絶対行きたい(というかとっとと行け)美術館ベストスリー最後の一つ、金沢21世紀美術館。開館4年目にして、ようやく訪問。設計はSANAA(妹島和世・西沢立衛)。
周辺を建物に囲まれた立地、高さを抑えた設計、円形のガラスファサードで囲まれた顔のないつくり。中に入ると「ワッ!」と広がる雑踏のざわめき。屋根とガラス壁で規定された街路=美術館という図式とその体現は衝撃的。4年を経てこれなので、登場時の驚きは想像を絶する。美術館と都市の関係を「拡張する」という点で、歴史に残る名作。
美術館の顔、レアンドロ・エルリッヒ「スイミングプール」。ガラスの回廊に囲まれた中庭で演じられる視線の交錯劇。装置を活かしきる舞台設定が何より秀逸。
白いハコ=展示室。美術館としてはカナメ、ここでは道端の露店みたいなもの?見た目よりも観客との関係性が大事。村上隆「シーブリーズ」の時間限定イベント、エルネスト・ネト「身体、宇宙船、精神」の弱く美しく繊細な空間体験は、ここで過ごした記憶を脳裏に焼き付ける。
ガラスのエレベーター。車椅子用押ボタンの「上」に健常者用ボタンを配するのを嫌い、文字通り支柱の上にボタンを配置。かご内奥手の操作ボタンも、コの字フレームの三方枠に車椅子用と健常者用を同様に納める。ついでにインジケーターパネルも途中で止めて、トーテムポール状に建てる。デザイン領域を押し広げるという点で、とても興味深い。
中と外を規定する円弧状ガラス面。中と外は分断され、透明性でもって再接続される。
建物はけっこう安っぽくて意外でした(安く作ったのではない)。それも含めて実現した「広場のような空間」、人々が行き交う景色。その進化の歴史は、青森県立美術館、十和田市現代美術館へと続きます。それにモエレ沼公園を加えて、新・絶対行きたい美術館ベストスリーです。
2008年07月08日
●アートマラソン 奈良-京都-大阪
週末アートマラソンの記録です。移動がハードだったので、ツアーというよりマラソン。
まずは奈良国立博物館「国宝 法隆寺金堂展」へ。会期が後半に入って、いよいよ四天王勢揃いです。その厳しい顔つきと寸詰まりの胴体。素朴なボリュームの取り方に目が釘付け。伸び伸びとしたプロポーションの仏様も在るので、別に当時の造仏技術の制約でこういうバランスになったのではない。マンガにでてくる待機状態のロボットみたいだ(発進と同時に手足が伸びて格好良くなる)と思いつつ見入ってしまった。足元の邪鬼のバリエーションの見比べも興味深い。
左右に壁画、手前に四天王、奥に三尊像を抱く構成は、文句なしの金堂展。肌で感じる飛鳥の息吹に感動。前期から並べれば良いのでは?という疑問は残りますが、内容には満足。
京都に移動。夏、鴨川、納涼床!を片手に眺めて移動。
祇園祭の準備で活気づく八坂神社。40目前にして、前厄を祓ってもらおうと思い立ち来京。拝殿の中はガランとしていて、扇風機が所在なさげに回っていてのんびりした感じ。巫女さんに太鼓を叩いてもらって、神主さん(?)に祝詞を上げてもらって、お供物をいただいて。外にでると盆地独特のあっつい夏が広がる。京都らしいひと時を過ごしました。
四条通りを移動して何必現代美術館へ。村上華岳、山口薫、北大路魯山人を中核とするコレクションを展示するために作り込まれた箱。2階の奥まった暗室スペースに展示された陶器、3階の文と書が交互に並ぶ展示、5階のエレベーターを出て目に飛び込む青紅葉のある坪庭と空から射す光。そして地下1階に下りての魯山人の大物陶器群。どれも展示品への配慮が行き届いていて気持ち良い。コレクションのための美術館として素晴らしい出来。
そして大阪に移動して、国立国際美術館「塩田千春 精神の呼吸」展に滑り込みました。地下に降りていきなり赤いロープで靴を結んだ展示《DNAからの対話》。一つ一つにメモ書きされたストーリー、鮮やかな赤いロープ、そして半円錐形を形成する美しいシルエット。圧倒的に美しい。そして展示室へ。高い天井を活かした5着のドレス《皮膚からの記憶》。黒いロープを張り巡らせた結界(?)に置かれたベッド《眠りの間に》。その先に写真と映像。ホールに戻って、もう一つの展示作《トラウマ/日常》を観る。黒いロープで視覚化された立方体に封入された靴、服。常識ではありえない大きさ、空間の密度、手間に五感が刺激される。面白い!
移動中に看板を見かけて、graf buildingに寄り道。川沿いに面した好立地。奈良美智グッズをはじめ、かわいいグッズが目白押し。grafブランドの家具やインテリアのショールームもあってうらやましい。作り手として。
最後にサントリーミュージアム天保山で「ガレとジャポニスム」展を観ました。東京で見逃した展示に、ようやく追いつきました。浮世絵や北斎漫画に材を求める冒頭部は、日本美をそのまま異素材に移植するようでとても面白い。ティファニー製のトンボと杜若意匠のガラス瓶(?)は品があってキレイ。更なる美の極みを期待して階下へ。ややグロテスクな方向へシフトする展示は期待と違いました。トンボに焦点を当てるラストも、視覚的な分かり易さはあれど個人的にはピンと来ませんでした。
2008年07月03日
●東京アートツアー 上野
先週末の東京アートツアーの記録その2。
翌日は上野へ。東京藝術大学美術館で「バウハウス・デッサウ展」を観ました。
大きく三期に分かれるバウハウスの活動のうち、デッサウに焦点を当てた展示。そのカリキュラムや、講師陣及び演習課題が数多く展示されています。さらにその時代背景や、バウハウスの分岐に当たる学校等も網羅されています。
個人的には、演習課題等が長々と並ぶ展示は少々単調で退屈気味。後半中ほどで流れるバレエの映像の機械的な動きが印象的。そして最後の章でようやくバウハウス校舎の模型や校長室の再現セットが登場します。面を色彩で分割する空間と、直線的かつ素材の組合せで構成された家具。とても興味深いものの、登場が遅くて少々疲れました。
お昼は法隆寺宝物館。せとうち、豊田で見た「細い柱による浮遊感の演出」。重さを引き受けているのに、逆に軽く見える。研ぎ澄まされたバランス感覚。
東京国立博物館本館で、話題の「大日如来坐像」を観ました。小振りながらキリリと締まって美しい。
「特集陳列 平成19年度新収品」を観に、本館特別1室・特別2室へ。目当ては「古筆手鑑 毫戦」の裏表紙の刺繍。青い龍は刺繍とは思えないくらい緻密で綺麗。
美味しいと評判のパティシエ・イナムラショウゾウでケーキを買って、都内某所へ。ケーキとは思えない美しい色彩(一目見たら買わずにはいられない!)。フォークを入れるともう一変身する作り込み。甘さ控えめな美味しさ。スタッフの方の一糸乱れぬ応対といい、質の高いエンターテイメントショーを観ているようでした。
そして本日のメインイベント、「ブレードランナー ファイナル・カット」上映会。120インチスクリーン+立体音響でBlu-ray映像を堪能しました。ブレードランナーといえば、酸の雨が降り続ける近未来都市を舞台に全編暗いトーンで綴られる、退廃的な物語というイメージ。ところが、高密度な画面だと雨はかなりクリアになり、登場人物たちの悲しみが、怒りが、苦しみがとてもダイレクトに伝わってきます。もちろん、花魁が映るネオンを背景にスピナーが舞うシーンもとても映えます。タイレル本社のディテールもくっきり。背後から聞こえてくる雨音は本当に雨が降っているのかと思いました。ラストシーンも「ここで終わるのか!」と思うところで幕を引いて余韻を残します。カルトなSFムービーから、人間心理の葛藤に踏み込んだドラマへ。びっくりするくらい印象が変わりました。どうもありがとうございました!
2008年07月01日
●東京アートツアー 木場-松涛-六本木
先週末の東京アートツアーの記録。
まずは東京都現代美術館で「屋上庭園」を観ました。
各所で内海聖史「三千世界」の評判を聞くので、「屋上庭園」をテーマにした現代美術展だと思ったら全然違った。「庭」を横糸に、「時間」を縦糸に綴る間口の広い展示でした。
「I グロテスクの庭」。現代アレンジの装飾を散りばめた内なる庭園。白地に黒い装飾が適度にさっぱりしていて観易い。「グロテスク」さが弱まってむしろマイナス?
「VIII 記憶の中の庭」。切り抜いた紙の模型、車、。降りしきる雪は紙吹雪?太さの安定しない手書きの輪郭線で縁取られた空間は、ペラペラな嘘っぽさと存在の確かさが共存して見飽きない。
「IX 天空にひろがる庭」。内海聖史《三千世界》と《色彩の下》。キレイなインスタレーション。
「X 庭をつくる」。さりげなく置かれた、須田悦弘の木彫生花(?)。直島で観た「碁会所」を思い出した。
柔らかくいえば間口が広く、一言で言えば散漫に思える展示でしたところで「屋上」はどうしたんだ?。
続いて「オスカール大岩:夢見る世界」。こちらはコッテリ大画面のフルカラー作品群。
《ホワイト(オス)カー (森)》。古い町並みと幻想的な空。ファンタジックな美しさと、細密な写実描写が、その美しさの先にどんな意図があるのか思いを馳せる。作家の術中にはまる心地良さ。
《バナナ》。そのまんまなキャンパス。
《くじらI》、《くじらII》。奥へ長い空間を上手く使った、1対の展示。潜水艦の解剖図かと思った。平面作品でありながら立体を感じさせる展示方法が、建築を学んだオスカールさんらしいと思った。それが徐々に平面のみの表現に移行していくのも、画家としての自信の表れかと興味深かった。
《野良犬》。廃墟、お花畑、幻影のような犬。その異様な組合せに疑問を抱きつつも、圧倒的な美しさに吸い込まれそう。
《ガーデニング(マンハッタン)》。廃墟のような大都市に重なるお花畑。壮大な墓地に生けた花にも見える。美しく、不気味。でもやっぱりキレイ。
《ファイヤーショップ》。24h営業の火(=戦争)屋。花火屋だったら良かったのだけれど。
2階に上がって映像。二つのインタビューと幾つかの作品紹介。インタビューが興味深かった。アトリエの様子も良い。通路に制作アイデアのようなスケッチとコラージュ。イメージに合うシーンを求めるように、貼り合わせられる写真、描き込まれるスケッチ。画面を作っているというスタンスが伝わってきた。コッテリ大画面のフルカラー作品群に圧倒されました。
現美の大味な空間とも良くマッチしていた。
続いて松涛美術館で、噂の「大正の鬼才・河野通勢展」を観ました。聞きしに勝る探究心と技巧の極地。以下、展示リストに書いたメモ書きです。けっこう意味不明。
I.裾花川と初期風景画。「長野風景(長野の近郊)」。うねる自然、マンガチックな顔。「川岸の柳」。勢いあるタッチ。上手い。「丘の上から俯瞰する」。寝そべる人。河野のペンが景色を塗り替える。「馬車と汽車」。汽車、人、馬車すらも塗り替える。
II.自画像と表現の展開。「バッカナール(バッカス祭)」。うねうねした線。西洋も描く。「好子像」。ニキビ、湿疹の写実。mkは何?「虞美人化粧之図」。中国。細い目。「髭男の習作」。上手い!ひげのおっさん。「小さい庭」。屋上庭園にぴったり。「怪物の頭」。細かい描画、描法に神が宿る。
III.聖書物語。「キリスト誕生礼拝の図」。つぶらな瞳。「十字架を背負うキリスト」。コミカルな表情。奇異な表情の人々。「日本武尊」。East meets west。
IV.芝居と風俗。「竹林之七妍」。すごい自信、春章。「蒙古襲来之図」。洛中洛外?「私も何か御役に立つそうです」。豚にロゴ。「三人車中」。せつない?デフォルメされた顔、口。「娘時代」。マトリョーシカ。「豚と紳士」。風刺画。「桃源郷に遊ぶ人々」。キレイな漢文。何でもこなす。
VI.挿絵と装丁。「『ノアの箱舟』口絵原画(左)(右)」。マンガ。雷鳴とどろき水妖怪が現れる。
景色を塗り替えてしまうような躍動する自然描写から始まり、多方面に興味を広げ、キリスト教宗教画を手がけ、そして挿絵の世界へ。一つの道に絞れば大成したであろう圧倒的な画力を持って、興味の赴くままに駆け抜けた一代記。異様に濃い展示でした。
建築家白井晟一、独自の言語で構成された重厚で濃密な建物は、美術品を納める箱としてとても良く機能していて圧倒的。展示室内にあるカフェでいただくケーキセットと紅茶の美味しさも絶品。これぞ美術館という一つの峰を極めている。
そして21_21デザインサイト。「チョコレート展」、「water展」と連敗続き。今度は凄いという噂に惹かれて三度訪問。第3回企画展 三宅一生ディレクション「XXIc.-21世紀人」を観ました。
ティム・ホーキンソン「ドラゴン」。偶然性が産み出したドラゴン。向かいに銀色の大きな円盤が展示してあって、それも同作家の作品とのこと。昨日送られてきたばかりでキャプションもないという偶発性が可笑しかった(スタッフの方に質問して知った)。こちらはタバコの箱の銀紙を繋ぎ合わせて作ったそうです。
三宅一生「21世紀の神話」。梱包紙が生み出すファンタジー。その手間と観客を包み込むような包容力に脱帽。
藤原大+ISSEY MIYAKE Creative Room「ザ・ウィンド」。dysonの掃除機を弄って、掃除機パーツと衣装パーツの双展示を見比べて、21世紀人の群れへ。見立てと創意と工夫が織り成すジェットコースターショー。面白い。
ベン・ウィルソン「モノサイクル」。淡々と続く開発プロセス、そして完成!夢のモノサイクルが走る!と思ったら、後ろで支える手が映っていて可笑しかった。
安藤空間を全く意識させない空間の密度に快哉。ようやくギャラリーとして機能し始めたと思った。