2007年07月31日
●「ル・コルビュジェと私」 第3回 「ル・コルビュジェとは誰か」
森美術館で開催中のレクチャーシリーズ「ル・コルビュジェと私」の第3回「ル・コルビュジェとは誰か」の聴講メモです。出演は磯崎新さん。
コルビュジェはなぜ絵を描くのか?コルビュジェはいつもスケッチブックを持ち歩いていた。スケッチブックから絵画、建築、実生活への影響を追っていくことで、コルビュジェ研究の欠けた部分を語ることを試みる。
□Journey to the East
イスタンブールでスレイマン期のモスクを観て、ギリシャへ。海からアトス山を眺めるスケッチ。僧院のスケッチ。アテネへ。船の上から眺めるアクロポリスの丘。夕陽のアクロポリスを待ち、そして丘を登る。スケッチブックの記述「alone it is a sovereign cube facing the sea」。アクロポリスを見て、cubeと捉える。最初の建築体験、啓示。
□Album of La Roche
パリに出る。ピカソがキュビズムを発表した後の時代、ポスト・キュビズムに何をしたら良いか?オザンファンとポスト・キュビズムのマニフェスト、ピュリズムを発表。「暖炉」(白い立方体)を描く。静物画のモチーフとしてガラス器を多用。
スケッチブック「Album of La Roche」を辿る。延々と絵の下絵、そして絵。透明ガラス器の重なりの表現を探し(スケッチ)、まとめとして絵を描く。空間の重層性の表現、コーリン・ロウの述べるところのambiguity(両義性)。ドミノシステムのスケッチ、重なりあいの表現、レマン湖の景色(「母の家」の土地を探しに行ったときのスケッチ)。重なりあい、ラ・ロッシュ邸の初期スケッチと内観パース。空間の取り出し方、重層させていく過程を建築に置き換えていく。理論、絵画、建築の一貫した仕事。最後に300万人都市のスケッチとマニフェスト。そしてヌードデッサンの模写。原型があって模写、自分のスタイルを作っていった。
□黒い影
白の時代(1925-35)に3-4のコンペに当選後外される、落選を繰り返す。国連連盟本部、モスクワのセントソロユース、ソビエト・パレス。建築家として一度挫折。1929年、南米旅行へ。南米のスケッチブック。リオの岩山と民家。ヴァナキュラーな物への関心。岩山に長大なピロティのスケッチ、高速道路+建物の構想の始まり。後のアルジェ計画に集約。女性の裸を多く描く、エスニックへの興味。帰りの船でジョセフィン・ベーカーとの出会い。1930年代の変化、「黒い影」。マッシブで透明感のない、肉の塊として対象を捉える。建築でも存在感のある素材を使う。何故?
(時代を戻して)パリに出た頃の娼館を描いたスケッチは、ピカソの「アビニョンの娘たち」と同じ主題。ドラクロアのアルジェ、モロッコ。ロダンのヌードデッサンの模写。常に「二人の女性」の主題。「黒い影」を持った立体においても相変わらず「二人の女性」の主題。
□アイリーン・グレイとカップマルタン
アイリーン・グレイの登場。漆工芸家から始まり、先端的なモダンデザインを手がける美女。1929年にカップマルタンの住宅「E. 1027」を完成。コルビュジェよりも出来の良い(?)白い箱。この住宅の背後に、コルビュジェ設計のカップマルタンの小屋と宿泊施設が建つ。コルビュジェはこの住宅に、彼女に無断で壁画を描き、激怒させた。
なぜ白い壁を汚そうとしたのか?白の時代の自分を汚した?なぜ二人の女のモチーフ?アイリーン・グレイはレズビアン。エスニックな肉体を描きながら、自分自身の中にある透明性、キューブを統括して支配しようとした?男性から見て女性は他者、自分でコントロールできない他者の存在を感じる。建築との関わりを考えるという状態に追い込まれた?この頃に、コントロールの効かない破壊された都市に到達。
□ラ・トゥーレット修道院
元々はスイスのプロテスタント社会で育った。なぜラ・トゥーレットを設計する?最初期のスケッチはスロープ案。神父よりル・トロネ教会を見るよう勧められる。コルビュジェのノート「10%しか光がない。全部石だけ」。非常に的確な指摘。写真、模型では分からない。体で感知しないと分からないことがある。1963年に訪れた。まだドミニコ会が実際に生活しており、女性は入れなかった。最初の透明から、「E. 1027」の悩みを経て、真っ暗闇に行き着く。
磯崎さんの講演を聞くのは、第3世代美術館の全盛期以来、14年ぶりくらい。その平明に見えて難解(に感じられる)な論理で、聴く者を惹き込む語り口は健在。今回も繰り返し「なぜか」と明確に問いを発し、それに答えつつ気がつけばコッテリとした深みへと誘います。話を建築に帰結させながら、心に残るのはどんよりとした闇。なんとも言葉にし難い領域へと斬り込む手腕が印象に残りました。
アカデミーヒルズを出ると、YAYOI KUSAMA presents 「宇宙の中の水玉カフェ」が開催中。「いつも何かが起こっている」イベント性の仕掛けはさすが。
2007年07月22日
●国立西洋美術館
上野の国立西洋美術館本館は、ル・コルビュジェが日本で唯一手がけた建物として有名です。設計はル・コルビュジェと彼の弟子である前川國男、坂倉準三、吉坂隆正、竣工は1959年。DETAIL JAPAN 2007年7月号はコルビュジェ特集号ですが、その中でヨコミゾマコトさんがこの建物について書かれています。わずか4ページのテキストですが、トップライトと光の採り入れ方の変遷を主軸に、様々なエピソードを散りばめつつ「不安定な正方形」という言葉で締める構成は詩的かつ論理的で面白いです。
というわけで西美へ。三角形のトップライトから自然光が注ぐ中央部吹抜。梁や壁面に付いた照明が、コンクリートと自然光の劇的な関係性を妨げて残念。いかにも後付っぽい。
ヨコミゾさんが書くところの「6x6スパンの構造と、中2階に浮いたように卍型配置された照明ギャラリーとが相互に貫入することで、内部空間に独特の透明感と流動感がもたらされている」展示空間。中2階は現在立入禁止。美術館の方に聞いたところ、以前は小品の展示に使っていたが、バリアフリーの兼ね合いや光熱の調節の都合上閉鎖とのこと。立体的な動線が使えないのは、空間体験としてはもったいない。美術品の保護、良好な鑑賞条件の必要性は分かるものの残念。
ガラスの中の階段。ガラスで竪穴区画しているのでしょうが、階段がガラスの展示ケースに納められているよう。西洋美術館自体がコルビュジェ建築という遺跡の動態使用に見えて、世界文化遺産への登録を先取りしてる?
もうじき設備改修に入る新館。設計は前川國男、1979年竣工。天井の特徴的なトップライトは光熱の都合上閉鎖中。今回の改修で改善されるか?
新館から中庭越しに本館を望む。基本的に眺めるだけ。機能的には日本庭園に近い?
●「ル・コルビュジェと私」 第2回 「私とル・コルビュジェと住宅建築」
森美術館で開催中のレクチャーシリーズ「ル・コルビュジェと私」の第2回「私とル・コルビュジェと住宅建築」の聴講メモです。出演は安藤忠雄さん。
□ル・コルビュジェとの出会い。
建築を学び始めて初めて買ったのはコルビュジェの本。ロンシャンの教会にたくさんの人が集まっている写真、マルセイユのユニテ・ダビタシオンのピロティと屋上庭園。そこで子供たちが走り回っている写真。建築は個人だけでなく公的な影響も及ぼす。
1965年にヨーロッパを旅行した。ギリシャ、パルテノン神殿はそれほど凄いとは思わず。フローレンスのドーム、マルセイユ、アフリカ、インドを経て日本へ。マルセイユでは船が3日遅れて、毎日ユニテ・ダビタシオンに行った。
ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸(1923-25年)。銀行家とコルビュジェのお兄さんの家。ジャンヌレ邸は、現在コルビュジェ財団が使用。以前にコルビュジェの全住宅の模型を作って財団に寄贈したが、今度は借りようとしてもなかなか貸してもらえない。コルビュジェは建築好きで、住みやすさ、使いやすさもよく考えられている。サッシュの結露水の処理、スロープの手摺、ガラス戸が開く範囲等。
マルセイユのユニテ・ダビタシオン(1945-52年)のピロティと屋上庭園。時間が経てば傷むが、考え方はしっかりと残る。残らなければならない。換気扇周りの鍋収納、2階吹抜手摺壁の通風スリット及び本棚等良く考えられている。
サヴォア邸(1928-31年)。当時の文化相アンドレ・マルローのおかげで保存された。
リートフェルトのシュレーダー邸。1924年竣工、コルビュジェと同時期。ピート・モンドリアンと友人関係。家具作家が作った家。巨大な家具。良く動く。クライアントの存在が大切。
□自作を語る
1969年に事務所を開設。10年間は頼まれた仕事は好きにやれば良いと思っていた。楽しかった。建物が大きくなるとそうはいかない。
富島邸(1973年)。現在はアトリエとして使用。安いのでコンクリート造。型枠を外せば仕上なしで使える。その反面、汚れやすく補修も難しい。型枠を外すときに木片が貼り付くのを、ペンキを塗ることで綺麗に外せるように改良。特許をとっておけば良かった。
神戸の住吉邸。地場産の御影石を用い、既存のクスノキを残す。風景を残しながら、受け継いできた住まいを具象化。
大阪の住吉邸(長屋、1976年)。間口3.6m、奥行15m。コルビュジェの建築5原則に沿った建築を作りたいと考えた。三軒続きの長屋の真ん中を切るので、倒れてこないかと心配した。敷地を長手に三分割して、真ん中を中庭に。通風、採光、日照のみ考慮して、冷暖房は不要と考えた。外を通ってトイレへ。雨の日は大変。抽象性、コンセプトをしっかりと作ることが大切。
ロンシャンの教会の人々を集める力、集まる場所、そして責任。あちこちから光が入り、20世紀を代表する光の空間。地中美術館(2004年)では建物の外形は存在せず、光で建築が成り立つ。
光の教会(1989年)。予算2,700万で70人入る教会を。屋根はなくて良いか?雨の日は傘を差して集まる、良い教会では?正面十字の光のスリットにはガラスが嵌っているが、とりたいと繰り返し言っている。風を感じられて良いのでは?良い建築とは、空間のボリュームと光。床や家具は工事現場の足場板を使っている。U2のボノが観たいと事務所にやってきた。ボノ美術館が進行中。
水の教会(1988年)。湖に開いた教会。縁側の教会を作りたい。
六甲の集合住宅(I期、1983年)。斜面住宅への興味。コルビュジェの斜面住宅のスケッチ(1949年)、その実現といえるアトリエ5のハーレンの集合住宅(1959-61年)。平坦な土地に分譲住宅を建てたいという相談を受け、その背後の斜面(活断層あり)の計画ならやりましょうと返答。ほとんどが地下に埋まるので建蔽率は0%もありかと考えて、役所におこられた。若いことは良いこと、失敗しても良い。コルビュジェもラ・ショード・フォンからパリへと出てきて、悪戦苦闘しつつ、考えを貫き通した。自分の考えを貫けば、光が見えてくる。あまりの急斜面に、雨の日は崩れるかもしれないので敷地に行くなと所員に指示。II期(1993年)、隣の土地の地主から、うちでも出来ないかと相談。16層を階段で上がる計画を提案、それでは売れないといわれ、斜行エレベーターを設置。雛壇の眺望の良い場所に公共スペースを設置。III期(1999年)、神戸製鋼の寮がある土地に勝手に提案。断られるも、1995年の阪神大震災を機に相手方から依頼がくる。考え方を作り、書いておくことは大切。いつチャンスが来るか分からない。IV期、病院の建て替えと集合住宅。これまでの実績を踏まえての依頼かと思ったら、別の理由もあった。前に進めていかないと、話は進まない。
直島。1988年に美術館にしたいと相談を受けた。亜硫酸ガスと石切場で荒れたはげ山。美術館とホテルを計画。1,000円募金を200万人集めて、はげ山を緑にしようと発案。自然を壊すことも出来る、作ることも出来る。草間弥生のオブジェ。カボチャに見えるというと、おこられた。元気の源は好奇心。古家を改修してアートの場に。運営側が色々と考える。
オリンピック。設計者に選ばれたことが発表されたときはベニスにいた。話を聞いていなかった。東京都市圏は世界唯一の3,000万人規模。そこを魅力的にすることが、これからの人口増加、環境破壊を考える上で役に立つ。「風の道」、「緑の回廊」、「海の森」を提案。1,000円募金を100万人集めたい。9年経てば、宇宙から見える規模の森になる。人間が壊したものを作る。東京都の全小学校の校庭の芝生化を提案。メンテが大変だが、芝生ならば子供達も駆け回るだろう。電柱を地中に埋めて、地上緑化を提案。屋上庭園、壁面緑化、民間も緑化。
東急渋谷駅と上野毛駅を設計。渋谷駅の地下30mのホームに自然の光と風を採り入れる。来年6月完成。東急沿線の斜面を緑化。1965年のヨーロッパ旅行の洋上で水平線を見た。地球は一つ。一人ずつが手を差し伸べれば、生き延びられる?現状は絶望的。
4mx4mの家。4階にロビー、明石大橋と淡路島を一望。これくらいの規模であれば、誰にでも機会がある。チャンスは自分で掴むもの、自分で組み立てられなければいけない。
建築は自分で可能性を作り、潰していく。コルビュジェは晩年にロンシャンの教会を手がけた。エネルギーを蓄え、常に考え続けることが大切。人生を面白くするのは自分、仕事を面白くするのも自分。考える人が多く要る。コルビュジェはアトリエで多くの後進者を育てた。思いの強い人は最後までいく。
□質疑
Q:これからの目標、ご自分の長所、短所は?
A:地球の役に立ちたい、地球は一つ。色々なことに興味を持って、精一杯やっている。
Q:死後完成したコルビュジェの教会、工事が進むガウディの教会。死んでも建ち続けて欲しい建築はありますか?
A:瀬戸内海の森、海の森、電柱の地中化。ガウディは積石造を前提にその限界に挑戦したが、現在は鉄筋コンクリート造で作っている。ガウディの思いは、コンセプトはなくなるのか?つらいのでは?サン・ピエール教会もコルビュジェでありながら、コルビュジェでない。難しいなあ。
初めにコルビュジェの本を買い、ヨーロッパを旅行した。フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルを見に行った。山邑邸も見に行った。写真とはずいぶんと違う。作りながら考えているので、ディテールに膨らみがある。現代では難しい。コルビュジェは400-500年に一人の人。その前はミケランジェロ。
安藤さんの講演を聞くのは10年ぶりくらい。以前と比べると、ドローイングや模型はとても少なくなり、地球規模の環境論が主論になりました。建築の抱える抽象性と具象性といった困難な課題をあっさりと述べ、緻密に描き込んだドローイングと模型、美しい写真を映しつつ、河内弁の軽口で観客の心を掴む話術は驚くほど魅力的。明快で力強いテーマを繰り返し話されるので、その意図するところも非常に明快です。そのスケール、行動力に圧倒されました。
講演会の前に、東京シティビューとコルビュジェ展会場を一周して講演会場へ。気がつけば、一番リピート率の高い場所になりました。ソフトの大切さを実感します。
2007年07月18日
●山種コレクション名品選 後期
山種美術館で開催された「山種コレクション名品選 後期」を観ました。近代日本画にはそれほど興味がなかったのですが、辻惟雄著「日本美術の歴史」を読んで以降、体系立てて美術を観ることにはまっています。日本画で有名な山種美術館を訪れるのも、今回が初めて。
入館してすぐの福田平八郎「筍」が目を惹きます。黒い筒にちょっぴり覗く緑の芽、淡い背景描写。対象の捉え方が独特で、やはり面白い。上村松園「牡丹雪」の大胆な余白のとり方、真っ白な雪と傘裏の対比、女性描写も美しい。しかしなんといっても速水御舟「炎舞」。展示室一番奥に鎮座し、スポットライトに浮かび上がるヌラヌラとした炎の揺らぎと、舞う蛾の怪しげで儚い美しさ。複数の御舟の絵画が並ぶ本展の中でも、明らかに異質に思える怪作。思っていたよりも小さくのが意外でした。
館内は天井が低く、展示スペースも手狭でいささか雑然とした印象を受けます。まるでデパートの催事場のよう。名品が並ぶ展示内容とのギャップに少し戸惑います。立地は千鳥ヶ淵のすぐ近く。週末であたりは閑散としていますが、館内はけっこうな人の入り。固定ファンの方たちが多い印象を受けました。
こちらは菱田春草「落葉」を観に行った松岡美術館。コレクションを見せるための器として、なかなかの完成度。
2007年07月10日
●パルマ イタリア美術もう一つの都
国立西洋美術館で開催中の「パルマ イタリア美術もう一つの都」を観ました。イタリア北中部の都市パルマで花開いた美を、ルネサンス期からバロック期へ至る絵画、素描で辿る展示です。
エントランスホールで本展の紹介ビデオ。パルマといえば、チーズと生ハムという導入から、コレッジョの天井画へ。ドーム空間と一体化して、天へ昇るかのような映像は掴みとして魅力充分。音声ガイドを借りて、観る気満々です。
II「コレッジョとパルミジャニーノの季節」。ビデオで観た天井画で鮮烈な印象を残すコレッジョが登場。更にパルミジャニーノの登場で一気に黄金期へ。コレッジョ「幼児キリストを礼拝する聖母」の我が子を抱きかかえるような自然なポーズ、チケットやポスターで御馴染みのジョルジュ・ガンディーニ・デル・グラーノ「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ、聖エリサベツ、マグダラのマリア」、パルミジャニーノ「ルクレティア」の美しくも決然とした表情、「聖チェチリア」のデフォルメの効いたポーズ。展示は前半のクライマックスを迎えます。
V「バロックへ-カラッチ、スケドーニ、ランフランコ」。カラッチ兄弟(?)「戴冠の聖母(コレッジョのフレスコ画の模写)」のとても可愛らしく美しい聖母の解釈に、非常に現代的なセンスを感じます。そしてバルトロメオ・スケドーニ「キリストの墓の前のマリアたち」。主の復活を告げる天使の白、両手を開きその言葉を受け入れるマリアの黄が、光と影の劇的なコントラストにピタリとはまります。本来あるべき祭壇を離れて尚、この神々しさ。心を掴まれるような感動を覚えます。
メジャーになりきっていないからこそ可能なのであろう、圧倒的な質と量。絵画にこんなに力があるものかと、観入ってしまいました。
パルマ展と充実した平常展の二枚看板に加えて、コルビュジェ設計の建物。今夏のイチオシです。
2007年07月08日
●金刀比羅宮 書院の美
東京藝術大学大学美術館で開催中の「金刀比羅宮 書院の美」を観ました。詣でる地である金刀比羅宮から、海を越え、山を越え、はるばる上野の山に顔見世にやってくる障壁画の数々。江戸絵画ブームに沸く今この時期に、若冲、応挙の二枚看板を擁する時宜の良さ。建具で空間を規定する日本建築と画の親密な関係。興味津々です。
3階展示室を使った、書院の再現展示が本展の要。展示室手前に表書院、奥に奥書院を配置しています。
表玄関(を表す衝立)を通ると、昔も今も絶大な人気を誇る円山応挙の間が三つ続きます。まず鶴の間(使者の間)。襖を閉じれば、水辺に佇み空を舞い大地に立つ鶴の景色が開きます。腰を降ろしたつもりで視点を下げると、画の迫力がグッと増します。隣の間に続く4枚の襖は、左に水辺に佇む姿、右に空から舞い降りる姿を描き、迎える金刀比羅側と、やって来る使者とを対比するかのようです。
続いて虎の間。毛皮でしか知らなかったであろう虎が、水を飲んだり、睨んだり、眠ったりと広間いっぱいに並びます。猫をベースにしつつ犬も加味し、可愛すぎず、ときに迫力もある虎の姿を見事に描いています。岩を用いて直交する面を繋げる描画も上手。
そして七賢の間。竹林の七賢人の向こうには、山水の間の瀑布古松図が覗き、空間奥右上から注ぐ水の流れが空間を満たし、全ての間を一つにします。高い写実性と柔らかな描線、計算し尽くされた構図は、可動建具で空間を自由に連結分離する日本建築の特徴を生かしきっています。後世の修理補筆された部分があってなおこの迫力、往時の空間は如何ほどかと思わずにはいられません。
廊下を抜けて奥書院へ。伊藤若冲によって描かれた四つの間のうち三つは既に失われ、そのテーマを踏襲した岸岱の障壁画が並びます。閉じた間の中に縦横無尽に世界を広げる描画は、円山派の重鎮としての力量を示します。
そして伊藤若冲の上段の間へ。切花が壁面を埋め尽くす構図と、細密な描画。空間の広がりに留意したこれまでの流れが一気に反転する濃密な空間は圧巻。製作順では最古になるので、応挙も岸岱もこの作品を意識して、敢えて反対のアプローチをとったのかと思うほどの迫力。三つの間が失われたことが残念でなりません。それにしても若い頃に若冲に絵を習ったという当時の別当さんも相当な変わり者だったのか、名刹の敬虔な仏教徒という側面に惹かれたのか。よくこの前衛的(に見えたであろう)な画を受け入れたものです。いや、現代でも魅力的なのだから、見る目があったということなのでしょう。金刀比羅宮で実際の空間を見たくてたまりません。
空間の再現性という点では、襖を持ち上げた展示(立ったまま見ても座ったときの視点が得られるよう?)方法やそれを支持する鉄骨材とアルミフレーム等違和感を感じる部分もあります。その一方で、Canonが協力したというインクジェット出力の壁装飾画の良好な再現性等、限られた会場、予算の中で、とても効果的な内容に仕上がっています。秋からは本家で4ヶ月(間に1カ月閉鎖?)に及ぶ全面公開が待っていることを考えれば、顔見世興行として完璧。
●国立ロシア美術館展
東京都美術館で開催中の「国立ロシア美術館展 ロシア絵画の神髄」を観ました。ロシア美術は作家名すら思い浮かばないほど未知なのですが、実際には全編見どころと思える、非常に充実した内容に圧倒されました。
第2章「ロマン主義の時代」。カルル・ブリュローフ「水浴のバテシバ」、「ウリヤナ、スミルノワの肖像」と美しい絵が並んで、華々しい時代の幕が上がります。その先のファデイ・ゴレツキ「復活祭の挨拶のキス」でロマンに酔い、突き当たりのマクシム・ヴォロビヨフ「イサク大聖堂と青銅の騎士像」の晴天の逆光の下、堂々たる建物と騎士像の描写に魅入ります。右に折れて吹抜階段のホールへ。イヴァン・アイヴァゾフスキー「アイヤ岬の嵐」の暗く底の見えない荒波と、透明感溢れる波頭のコントラスト、嵐の中を水面すれすれに飛ぶ2羽のカモメの動の中の静。非常に劇的で荒々しく、そして神々しくもある一瞬の描写は圧巻。
第3章「リアリズムの時代」。グレゴリー・ミャソエドフ「結婚の祝福-地主の家にて」の農村の祝い事の景色の中、白いドレスを着た女性の美しさ。アンドレイ・ポポフ「村の朝」の鏡のような水辺と、清明な大気の表現。そして突き当りにはイリヤ・レーピン「ニコライ2世の肖像」。手を組み、フロックコートを着て立つ皇帝の、威厳と自然なポーズが同居する迫力ある姿。魅力的な作品が次から次へと登場して観ている方もテンションが上がります。左の折れると、「何という広がりだ!」の激流に足を飲まれつつ楽しげに手を広げる男女の不思議な光景。既成のアカデミズムを洗い流し、新しい時代の到来を祝福しているのでしょうか。階を上がると、ヘンリク・シェミラツキ「マルタとマリアの家のキリスト」の石廊の木陰で語らうキリストの大画面が登場して目を奪われます。
第4章「転換期の時代」。アンドレイ・リャブシキン「教会」の白いマッスのボリュームの清新さ。そしてボリス・クストージエフ「マースレニッツァ(ロシアの謝肉祭)」の彩り豊かな空と雪のコントラストで幕。
絵画を通して伝わる、パワフルな時代の変遷こそが、展覧会の醍醐味。満喫しました。
2007年07月03日
●藤森建築と路上観察
東京オペラシティ アートギャラリーで開催された「藤森建築と路上観察」を観ました。手作り感覚で生命感漲る建物の数々を手がける藤森照信さんの「第10回 ヴェネチア・ビエンナーレ建築展帰国展」。建築を捉える視点がユニークで面白いです。
展示の冒頭は左官仕上げのサンプルが並びます。そして縄文建築団が使う道具の数々。身体感覚の前に触感に訴えてきます。そしてとても楽しげ。
靴を脱ぎ、焼杉の塀に金箔で縁取ったにじり口を潜ってホールへ。竹で組み、縄で覆われたシアターで腰を降ろし、路上観察団の映像をじっくりと観ます。ゴザで胡坐をかいて観るのが落ち着きます。人の出入りの度にユラユラと揺れる骨組、縄の間から漏れる照明、時々上がる笑い声が良い感じ。塀の裏手に広がるシアターでは、高過庵の製作記の映像が流れています。こちらでもゴザの上に腰を降ろし、じっくりと観ます。パネル展示や模型もありますが、断然こちらの方が面白いです。触覚、身体感覚に訴える藤森ワールドを満喫しました。
展覧会もあと一日。なかなかの人の入りで、藤森さん大人気。
こちらは銀座メゾンエルメスで開催された「メゾン四畳半」藤森照信展。三つの四畳半はそれぞれ居心地良かったですが、撮影OKだったのはなぜかアコヤ貝の貝殻を埋め込んだ大きな貝。この中に立って、ヴィーナスの微笑よろしく記念撮影をどうぞという仕掛け。ギャラリーのお姉さんが写真を撮りましょうかと薦めてくれましたが、固辞しました。そのおやじギャグには染まりきれませんでした。
2007年07月02日
●ル・コルビュジェ展 建築とアート、その創造の軌跡
森美術館で開催中の「ル・コルビュジェ展 建築とアート、その創造の軌跡」を観ました。生誕120周年、サン・ピエール教会の完成、作品の数々の世界遺産登録への動き。時宜を得て、彼の建築と絵画・彫刻を同列に並べてその本質に迫ろうという試みです。
セクション1:「アートを生きる」。コルビュジェの絵画・彫刻を並べ、その奥にパリのアトリエの再現模型が現れます。「暖炉」に見られる「白い箱」から、「白い時代」の住宅シリーズへとつなげる構成。理屈は分かっても、直感的に理解するのはちょっと難しい。再現模型は良く出来ていて、特にアトリエ後方の机周りが良いです。この空間スケールが、コルビュジェの好んだ身体感覚かと追体験に浸れます。ガラスブロック越しに射す自然光の再現もなかなか。アトリエに並ぶ絵画がガラス越しで、雰囲気を削がれるのが残念。
セクション2:「住むための機械」。シャルロット・ペリアンの参加と共に始まるコルビュジェの黄金期。家具、自動車、住宅。オリジナルのドローイングと模型による展示で、20世紀建築の巨匠「ル・コルビュジェ」の世界を満喫。私の経験と知識が増えたせいか、学生の頃よりも今見る方がずっと魅力的に思えます。
セクション4(?)の一角にある映像コーナー。「暖炉」から「白い住宅」へと変形し、テーマ毎に内部を見せてゆく構成と、再現CGの素晴らしい映像。それをコルビュジェデザインの椅子コレクションに腰掛けて楽しむ仕掛け。今回はLC2に座ったので、次回はLC4に座ってみよう。
セクション5:「集まって住む」。ユニテ・ダビタシオンの住戸の再現模型。やはり実寸で空間を体験できることは、とてもありがたいです。いつか実体験をしたい。
セクション8:「空間の奇跡」。フェルミニのサン・ピエール教会が目新しい。
セクション9:「多様な世界へ」。カーペンターセンターと西洋美術館は行ったけれども、インドは未訪。とりあえず西美のパルマ展に行こう。
セクション10:「海の回帰へ」。カップマルタンの小屋の再現模型。これも良い出来。小さいながらとても豊かな空間。壁としての絵画。海を映し込む、鏡貼りの窓。一度の数名しか入れないので行列ができ、ゆっくりと出来ないのが残念。
再現模型と、ドローイングと模型による建築展として、充実した内容だと思います。絵画・彫刻と建築という点では、その相互関係を直感的に捉えることができず、2つの展示が分断されつつ展示されている印象を受けました。レクチャーシリーズを計4回聴く予定なので、時間をかけて理解しようと思います。
東京シティビューから見下ろすテレビ朝日。空から見ても端正な顔つき。設計は今回のレクチャーに出演される槇文彦さん。
2007年07月01日
●「ル・コルビュジェと私」 第1回 「ル・コルビュジェについて語る」
森美術館で開催中の「ル・コルビュジェ展」。そのパブリックプログラムの一環であるレクチャーシリーズ、「ル・コルビュジェと私」の第1回「ル・コルビュジェについて語る」の聴講メモです。出演は槇文彦さんと富永譲さん。
槇さん:インドに旅行した際にアーメダバードを訪れた。ホテルの窓から、水牛が昼寝している向こうにコンクリートのブリーズソレイユが見えた。シャンディガールのアトリエで、コルビュジェと会う機会を得た。当時設計中だった豊田講堂の設計図を持ち歩いていたので見てもらった。柱をつなげているのが気に食わない様子だったが、彼もスイス学生会館ではつなげている。
コルビュジェにまつわる伝説は多いが、素朴な人という印象。その一方で「人生は残酷」という言葉も残している。
コルビュジェは1920-30年代に英雄になり、世界大戦期は不遇の時期を過ごすが、ロンシャンで再び英雄になった。人生で2度英雄になることは凄いことだが、常に満たされないところがあり、それをエンジョイしているように思える。
富永さん:独立して仕事がなかった時期に、コルビュジェの作品集を読んだ。毎日見ていても飽きない。編集が上手い。汲み尽くせない魅力を感じ、彼の作品の模型を作った。結局12個作った。
白の時代の住宅はピュアに見えるが、グロピウスとは根本的に何がが違う。
リチャード・マイヤーらFive Architects は、コルビュジェの白の時代のボキャブラリーを用いて、ゲーム感覚でデザインした。
ロンシャンの教会の創作過程を、スケッチを順番を並べて推理した。抽象的でユニバーサルではない。風景の音響学、大地の空間にどう働きかけるか。1950年のスケッチに見られる広い空間の捉え方は、1911年のパルテノン神殿のスケッチの頃に戻っているのでは。ラ・トゥーレット修道院は大地に突き刺さる感じ。
槇さん:日本人は「自然」、ヨーロッパ人は「大地」という言葉を使う。ある荒々しい何かに、手を加えて作っている。シャンディガールの建築は、土地をくりぬいて作る感覚。人間と対峙する。ラ・トゥーレットは極限の個人の生活の場。コミューンの理想形?
サン・ピエール教会のそそり立つ祭壇は感動的。壁に穿たれた開口のアイデアは後付けかもしれないが、とても良い。
白の時代の住宅の展開と三つの教会は、コルビュジェを良く表している。前者は金持ちの住宅。フランス人は仕事を頼まず、依頼主はアメリカ人とスイス人。後者はドミニコ派の前衛的な司教の依頼。パトロンは大切。教会の三部作は、不定形、直角、垂直がそれぞれのテーマ。
対談:カップマルタンの小屋。今回の展示の原寸模型は凄く良く出来ている。奥さんへの誕生日プレゼント。内装はベニヤの丸太小屋。白の時代の水平窓と対比的。世界が自分の中に入ってくる。
母の家。ラ・ロッシュ邸と同時期(1923年頃)。長手11m、奥行4m。ベッドルームの裏手にトイレ、キッチン、ユーティリティがあり、生活しやすい。親に対する愛情が感じられる。設計図を持って、場所を探して作った。70m2ながら広々としており、風景が飛び込んでくる感じがする。ミースの空間に近い。建具に朝陽の通る丸孔を開けたりして、白の時代の住宅とは違った意識で作られている。30年後(ロンシャンの教会を手がけている頃)にこの家が如何に大切かを綴った「小さな家」を出版。
ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸。白の時代の出世作。ナポリの街区スケッチを思い起こさせる曲面の壁。思ったより広がりがなく、ギュッと締めてまた広げる感じ。建築的プロムナード。
エスプリ・ヌーボー誌。オザンファンと共同ではじめるも、徐々に排除。コルビュジェの作品ばかりに。
ポンペイのスケッチ。古いモノと合体して、新しいモノが生まれてくる。
窓。前期は主体が外を見る。後期は主体に浸透してくる。外を取り込んでいる。
コルビュジェとミース。コルビュジェはビスタの展開、身体性。ミースは絶対的な空間、ある意味バロックに通じる。
ロンシャンの教会。中にいる主体に対して、入りこんでくる。色を使うのは、ステンドグラスの変形。歴史の根本に働きかけながら、今の形に変形していく。アルジェリアの村、カニの甲羅。1911年「東方への旅」に出てくるヴィラ・ドリアーナの採光窓から、教会の採光窓へ。自分の目で見たものを参照、表出して世界が広がってゆく。
槇さん:(ギリシャ、イドラの写真を映しつつ)モノクローロ=シンプル+スペース。レゴを重ねることでできる。住居の一角を切り取って外部を作る=コートハウス。白の時代の原型、ドミノ。空間を如何につなげるか。モノル、白の時代にも現れる。エスプリヌーボー館から300万人都市へ。コートハウスの集積を作り出した背後には、ヴァナキュラーなモノがあったかもしれない。コルビュジェの抱いた文化形態に近いものが、普遍性を掴みだし、現代(高層住宅)まで拡大したのではないか。
1911年の旅行記。人間の普遍性をスケッチして掘り起こしていく。普遍的なものを見ながら、現代化していった。
和辻哲郎「風土」。時間をかけて旅をした。
気心の知れたお二人による、尽きぬコルビュジェ談義。とても充実したひとときでした。