2006年11月30日
●スーパーエッシャー展
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「スーパーエッシャー展」の鑑賞メモです。
行ったのは展覧会初日の11/11。講演会を聴いてから展示を観たこともあって、これまでのエッシャー像が一変するくらいの興味深い内容でした。内容についてはこちら(講演会、展示)とこちら(講演会、展示)で詳しくレポートされています。是非御一読下さい。
講演会「M.C.エッシャーの絵画と錯視構造」。講師はBunkamura ザ・ミュージアムのプロデューサーを務めておられる木島俊介さん。とてもスマートな語り口で、絵画にまつわる薀蓄を交えつつエッシャーの生涯を振り返ります。
・エッシャーの父は優れた港湾技術者で、仕事で日本に滞在した。福井県三国に彼設計のドームがある。
・人間は知っているものしか描けない。自分が見たいように描く。
・版画は世界を二元的に見る。対立と照応。図と地。
・エッシャーの絵の変遷。イタリア旅行時の絵に見る、明暗が交錯する世界。モノをそのまま描くのでなく、モノが持っているものを効果的に描く。「昼と夜」に見る、光と影の上下関係。平面の正則分割から無限性へ。円の概念の導入、永久運動による無限性表現。
・無限性の表現に必要なもの。イスファハンのドーム、神が顕れる場所。ローマの無限唐草文様、メディコスモス。
・エッシャーは球の追求の半ばで亡くなった。トポスの中に美が顕現するのを待っている。
究極の表現として無限性を、その手法としてドーム空間を提示し、エッシャーがそこを目指しつつ道半ばで亡くなったことを(仮定して)惜しむ構成は、講演会としてそんなのありなの?とちょっとビックリ。話が上品かつ難しかったですが、エッシャーを観る幾つかのキーワードと視点を得られて良かったです。
「スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡」。
若い頃の自画像、イタリア旅行での立体的な地形や都市、建築空間の描写。これらは、版画家よりも、才気溢れる若き建築家がグランドツアーとして古典を巡る様を髣髴させます。
そしてイタリアを離れるとともに平面の世界へと移行。ここでも正則分割というシステムを導入して、表現に制約を課します。それは建築が構造というシステムでもって、重力という制約と常に向かい合うかの如く。ネタ帳「エッシャーノート」に見られるパターンの研究は、絵で書いた数式のよう。「昼と夜」は時間=光と影の交錯と、立体から平面的へと変化する描写と相まって、昼と夜を繰り返す時間空間体験のようです。
立体グリッドをトビウオに置き換えた「深み」は、立体グリッドを構造体、トビウオをファサードと読むと分かり易いと思えます。座標点に被せるのが、単なる直方体かトビウオかの違い。その一方で、エッシャーの絵をCGで立体化した映像で観ると、彼の空間が意外と単調に思えます。平面上で表現される立体及び空間体験と、立体で実体験と化す建築では、やはり目指すところが違うのか。モダニズムの頃だから、当時は一致していたかも。
そして錯視のトリック。このあたりから「知られているエッシャー」の世界へ。「滝」においては、建築はトリックのための舞台装置に留まり、錯視が主役に躍り出て見えます。
エッシャーはどうして建築家にならなかったのだろう。偉大な版画家の展覧会にその問いはなかろう。理屈では分かっていても、会場でずっと気になりました。木島さんの話術に呑まれたのか、随分と濃いひとときになりました。展示はエッシャーの全貌に触れるまたとない機会になっています。フレッシュな気持ちでもう一度行きたいと思います。
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