2006年05月01日
●BAO/BABB. 第12回勉強会のお知らせ
5月になりました。今月のBAO/BABB.は5/19(金)、19:00より、柏アミュゼ5階会議室Dにて開催します。
「Session03 可能性の柏」、3回目のテーマは「住宅とまち(仮題)」です。商業開発が過熱気味に盛り上がる一方で、美しい住環境の整備はまだまだこれからです。まちは住宅で出来ています。柏における住宅環境の「今」を踏まえつつ、住宅とまちの可能性を考えたいと思います。詳しくはこちら又はチラシをご覧下さい。
興味のある方、時間の都合のつく方は是非御参加下さい。お問合せ、参加申込みは、電話04-7169-7710(ばおばぶ 担当五十嵐)、もしくはe-mail:baobab-i@jcom.home.ne.jpまでお願いします。
「今」その1。25年維持されてきた景観づくりのルール。
「今」その2。地域住民との交流イベントを盛り込みながら展開される宅地開発。
「今」その3。40年を経て更新される景色。
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さすがだ!
このような予告を打てるなんて!
前回担当者のような逃げ腰の姿勢が見られないことが凄いです。
期待しています。
もし、都市計画の分野に進もうとしている若者に宿題があるなら、遠慮なく言ってやってください。
彼らのためです。よろしくお願いします。
佐藤K様>
話がまとまらないので、素材の陰干しをしながら考えることにしました。どこまで説明をして、何を委ねるか。目標は、ちょっと重めの宿題をガンバッテ考えようと思ってもらえるあたり、なんですけど。逆にひたすら喋り続けた方がシンプルで良いかも。。。
「建築」の可能性と限界。および「都市計画」の可能性と限界が見えてくるといいなあ、と勝手に期待しています。
特に、都市計画というものが浮き彫りになると学生たちにとっては、よいのではないかと思いました。
もっとも、話しを聞く側に、それだけの知識とセンスがあることを前提としていますが。
すぎのさんにも参加してほしいですね。
佐藤K様>
対象を住宅建築に限ることで、ある程度「成果と課題」について触れるつもりです。ただ、「柏」という地域性(土地柄?)の扱いに困ります。利便性、先進性、自然環境といったアドバンテージを活かしきれず、気がつけば周回遅れになりそうな現状をどう捉えるべき?
すぎのさんの集落モデルは理想の一つとして盛り込むつもりでいます。「柏の現実→他例に見る可能性→実務で関わった例→理想としての集落モデル→どう思うか?」という流れ。そんなに入らないか。。。
お二方から指名されては出て行かないわけにはいかない、というわけで一言。
集落モデルが理想かどうかはわかりませんが、日本社会は伝統的には「家業」を中心に動いてきたという説があります。家業的な考え方とは「継続し続けることを最良とする」ということ。
そのための保証は何かといえば、それは「信用」だ。そういう流れの中で仕事感なり価値観、死生観が培われてきた、といいます。
この視点から新しい街をみたとき、たとえば、人間が生きることしか考えていない。若者も年寄りも暮らしやすい場所を作ろうとしている。
誰しも死ぬんだけれども、生き続けなければならない。ぎりぎりまで頑張らなければならないという感じ。だから本人としては死はつねに不本意な死になってしまう。
今の街には、ここで死ぬのもいいかなという気持ちにさせてくれるものがない。自分がなにをして生きていくのかではなく、なにをやって死んでいくのかということがなかなか納得しにくい。そんな街ばかりではないか、という指摘です。
これは内山節さんという農山村をフィールドに労働論や自然哲学を研究している哲学者(立大教授)が話していることで、私の発想ではないのですが、共感させられます。
20年以上前の我孫子市の総合計画のテーマは「終の棲み処」でした。若いメンバーからは反対もあったのですが、その時の座長は明治か大正生まれの方でした。昔の人にはそういう価値観が身についていたのでしょうねえ。
suginofarm様>
>ぎりぎりまで頑張らなければいけないという感じ。
これありますね、とても。ものすごく凝縮された名言だと思います。
言葉の上での理想(?)と、現実から考えた可能性の間に、橋を渡したいというのが今回のテーマになりますね。橋というより糸みたいなモノでしょうが。時間切れにならないよう、少し枝葉を刈り込んでみます。