2005年08月12日
●遣唐使と唐の美術
一昨日は朝から都内で打合せでした。打合せが一つ流れた関係で時間が空いたので、先週の土曜日に続いて上野に寄りました。昨日紹介した上野東宝ビルを通って公園を散策した後、東京国立博物館平成館で開催中の「遣唐使と唐の美術」展を観ました。昨年中国で発見された遣唐留学生「井真成」の墓誌が本展の目玉です。彼は717年に第9次遣唐使として入唐し、734年に志半ばにして亡くなったそうです。1,300年近い時を経ての里帰りとなります。墓誌だけだと寂しい展示になるのではとちょっと心配でしたが、実際には唐の美術工芸品を多数並べて当時の雰囲気を感じさせてくれる充実した展示でした。奈良の正倉院には遣唐使がもたらした美術品の数々が保存されており、当時の輝きを今に伝えています。教科書を読むだけでは味わえない、今と昔の連続性を実感できることがこの展示の魅力だと思います。
同時開催されている「模写・模造と日本美術」展もとても面白い展示です。歴史上の名品の精巧な模写・模造が一堂に会しているので、それらを見比べてみると顔つきや体つきの変遷が分かります。ふくよかだったり無愛想だったり睨み顔だったり。どこかユーモラスで漫画を見ているような感覚で楽しめます。子供たちの夏休みの自由研究に最適な展示だと思います。
平成館の1階ロビーは広々としているので、ゆったりと寛げるところも気に入っています。
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子供のころから博物館に興味をもつというのは、親がよっぽどどうかしている。もとい、親がとっても美術館や博物館通いをしているかに掛かってきます。それか、そっぽどの歴史好きとか。そうなると、なかなか大変です。でも、なるべく時間作っていくのです。それは子供のためというより、自分の楽しみのためです。
ところで、日本の美術館で模写させてくれるところはありますか?企画展ばかりだから、人混みばかりでダメですか?常設展でもやらせてくれないのでしょうね。世田谷美術館ではどうですか?
佐藤K様>
僕の歴史好きは子供の頃からですが、美術館好きはBrooklynに住んでいた2年間の影響が大きいみたいです。学生は主要美術館の入館料が無料(マティス展などの超大物企画展は別)だし、地下鉄も一律150円くらいなので、MoMAやMMAといった世界的なコレクションの敷居がとても低いです。ミュージカルも安かったしアートが本当に身近な街でした。
世田谷美術館の場合、展示室内は鉛筆のみ使用可というルールがあります。美術品保護のためで、シャープペンシルも不可です。逆にノートを手に持って鉛筆書きならいいかも。もちろん他の人に迷惑になる時はダメですが。
「模写・模造と日本美術」展では会場の1/3くらいを体験コーナーにしていて、書や絵をなぞったりできるようになっていました。子供の自由研究には良さそうでした。
こんにちは。
よっぽどどうかしているかもしれない親のひとりですが、博物館、美術館通いは大人になってからです。
最近の上野情報を拝見して、ふたたび上野へ行きたくなりました。
お盆は混雑していますでしょうか、ね。
どうかしている親の佐藤Kです。上野は興味尽きません。mizdesignさんとtsukinohaさんのやりとりを読むほどに、こちらはますます「どうかしそう」です。
ぼくは、「縄文VS弥生」のチケットが当たっていますので、なんとかスケジュールをつくって子供たちを連れて行きます。
ぼくの両親は、岩手の山奥出身。妻の父は九州・福岡の出。妻の母は、奄美諸島にルーツがあります。
ぼくの子供たちは、顔立ちは妻の父方似ですが、骨格はぼくの母方似のようです。ぼくの母方は、なんとなくロシア系の血筋かもしれません。叔父が学生のころ、不精ヒゲを生やしている顔はポール・マッカートニー的でした。髪は黒く肌の色は白く、顔の彫りが深かったのです。今は、太っちゃって、髪薄くなっちゃって、見る影もありません。しかし、色白だけは健在です。
tsukinoha様>
今日はいい天気ですね、まさに夏の行楽日和。ちょっと混んでそうですが、その分涼んだときの心地良さも格別でしょう。
佐藤K様>
「縄文vs弥生」のガチンコ対決をうたった看板は、公園でも目立ってました。モデルの顔立ちも対照的でしたが、それぞれの特徴が表れているのでしょうか。
本当は、「縄文VS弥生」というタイトルそのものがナンセンスだと思っています。そんな言い方は、30年前に終わりにして欲しいです。
どのように、線引きしているのかを見に行くことになるでしょう。チケットが当たりましたので。
今回、個人的に興味をもっていることがあります。
ぼくのルーツは「とうほぐ」ですから、自分の遺伝子構造がどうあれ、縄文が駆逐されていくほうに心惹かれます。しかし、ぼくの奥さんのルーツは福岡と奄美諸島なので、西側からの視点が初めて芽生えました。
金沢在住という観点では、当時は「非弥生」側となるのでしょうから、そういう見方になりそうです。