2005年08月16日
●秋葉原 1991
お盆が明けました。今年は仕事の関係で突貫作業週間になっていましたが、それも峠を越えて通常営業に戻りつつあります。休み損ねて残念ですが、タイト過ぎるスケジュールから解放されてホッと一息です。
「街」は時々刻々と変化してゆく生き物のような側面があります。以前はそんなのは歴史の教科書の中の話だと思っていましたが、私が学生の頃に見た景色がどんどん変わっていく現実を目の当たりにして認識が変わってきました。今まさに向かいあうべき現実だと思います。同潤会アパートメントの消失(江戸川、青山、代官山)と跡地の再開発(表参道)はその分かりやすい例ですが、その他にも再開発の計画があちらでもこちらでも進行しています。地域の活性剤としての再開発の必要性は分かるのですが、その内容を詰める過程で歴史的背景や地域の特性を反映するプロセスが取り残されている気がしてなりません。「まちづくり」も体系化の時代ですので、こういったプロセスをどう取り込むのか興味があります。
写真は「電気の街」と呼ばれていた頃の秋葉原です。日付は1991年4月16日、今から14年と少し前です。先日取り上げた「今」に至るまで、パソコンの街、アニメとゲームの街、そしてIT拠点へとめまぐるしく変化しています。ここまで変化が早いと、都市としてのイメージが固まる前に消えてしまい、何があったのかを忘れてしまいそうです。少なくともこのスピードを実体験として記憶しておくべきだと思います。
山手線下の電気店です。街の顔と、その片隅の消えてなくなりそうな日常という対比のつもりで撮ったんだろうなあ。当時はバブルをちょっと下った頃で、スクラップアンドビルドが日常茶飯事でした。そのあとバブルははじけたものの、気がつけばそれをはるかに凌ぐスピードで街が変わってゆきます。もとあった電気の街をコンパクトに圧縮して、表通りにキャラクターモノの大看板を並べ、その裏側に大手町を貼り付けたような現状は眩暈を覚えるほどシュールです。
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欧州人がアキハバラに興味をもつのは、欧州にはアリエナイ街だからではないでしょうか。街の変化の速度は、欧州では体験しにくいと思います。その代わり、「仮設」が多いのではないでしょうか。
「仮設」が存在しえるということは、「常設」がある訳です。でも、アキハバラは全てが「常に変化」です。
でも、日本は昔から「全てが変化」な気分なのではないでしょうか。その最たるものが、伊勢神宮です。なんて、強引でしょうか。
たぶん、アキハバラ行くとどっぷり疲れそうです。
佐藤K様>
アキハバラのありえない側面は、去年のヴェネチア・ビエンナーレに出展された「おたく」展で最高に極まった感があります。その象徴がカタログ表紙になっている、山手線高架に跨る巨大少女の絵(http://www.jpf.go.jp/venezia-biennale/otaku/j/catalogue.html)でしょう。「萌え」はついに街を征圧します。そして今度は「つくばEXの起点」かつ「Tokyo23区」という150度くらい違った方向へ舵を切ります。今回の主役はおそらく「ファンドブーム」でしょう。見ている分には確かに面白いです。
柏も「商都」であり、今同じブームにのっているという点では他人事ではないです。でもベースを忘れちゃダメです。伊勢神宮は神道の中心、秋葉原は東京23区、柏は街と農業が共生する田舎です。