2005年07月23日
●グラッときたときに考えること
先ほど、かなり激しく事務所が揺れました。インターネット速報を見ると、震源は千葉県北西部で、場所によっては震度5を記録したそうです。
ちょうど避難経路等を検討しつつ図面を描いていたので、揺れたときも周囲を見廻して避難経路からチェックしました。バルコニーと、階段へと続く廊下で二方向の避難経路を確保。通路を塞ぐ可能性があるのは本棚だが、倒れても乗り越えられる。むしろ倒れかかられる方が危ないので、すぐに動かないほうが良い。机の上の大物は21インチのモニター(約30kg)だが、万一転がり落ちてきても大丈夫な位置に座っている。他所から物が飛んできたり落ちてきたりする危険性は見当たらない。建物は鉄骨造なので、揺れるけれども耐力はけっこうある。というわけで椅子に座って揺れを観察していました。そのとき思ったのが、作業中のパソコンをどうしようかということ。グラッときたら保存終了して電源を落とすのが鉄則ですが、揺れてマウスを操作することが意外と難しい。処理中に大きな揺れがあってシステムを損傷したらそれこそ大ダメージ。一番危ういのはこいつか!とか思っているうちに揺れが収まりました。とりあえず、今日の作業が終わったらバックアップをとることにします。
最近の地震の頻発を見ていると、関東大震災がいつか来るんだろうなと思います。うちの近隣は地盤が弱めなので建物がこけたらそれまでですが、それさえなければ建物はけっこう頑張るはず。揺れとその後の火事で怪我しないよう物の置き場所には気をつけて、あとは非常食と靴を用意しておかないと。
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mizdesign.com/mt/mt-tb.cgi/135
ぼくは、そのとき、駅前通りの近くにいました。B&Dスポーツの近くです。息子たちと姪っ子を連れて歩いていました。
レストランが揺れていました。電線が揺れていました。まるで、船の中にいるような3次元的な揺れを感じていました。
そのとき何ができたかと言うと、子供たちを集めて覆いかぶさるようにて、全神経を研ぎ澄ます努力をするのが精一杯でした。全方位に気持ちを張り巡らす努力だけでした。
一瞬の時間に考えることって早回しのテープのようですよね。子どもがたいそう怖がって、普段の日でなくて良かったと思いました。
佐藤K様>
街と交通は天災に弱いですね。豪雪や地震のたびに痛感します。しかし災害が過ぎると、自分を含めた人たちは、何事もなかったかのごとくその脆弱な世界に戻っていきます。馴れというか麻痺というか。こっちも怖いなと思います。
tsukinoha様>
本当に早回しのようでした。もう少ししたら現場に通うようになるので、備えが必要かなと思ってしまいます。歩きやすい靴と、非常食と、ラジオと、携帯と、、、
たくさんのエレベーターが停まった、と新聞にありました。エレベーターの性能として、要求される機能でしょうが、復旧は時間がかかります。
超高層マンションでの様子は、どうだったのでしょうか?とても気になっています。
携帯電話も災害時には当てにならないことも実感しました。
都市はすでに「恐竜」なのでしょう。
子供の夏休み期間中に行かなければならないところがあります。国立科学博物館の「縄文VS弥生」です。チケットが当たったので。
当時は地震とどのように付き合っていたのでしょうか?
グラッと来たとき、千葉方面から帰る電車に乗っていました。といっても、ラッキーなことに武蔵野線の市川大野駅に停車中でした。
しかしまぁ、驚きました。電車だったために、地震よりも「テロ」、もしくは「追突事故」が頭をよぎりました。たぶん、ロンドンやJR西日本を想像したのは、僕だけではなかったと思います。地震だと分かった時には、車内に安堵の空気が流れました。
五十嵐様>
僕は日比谷線で通勤していたので、サリン事件も日比谷線の横転事故も少しの時間差で遭遇するところでした。あんな大事件の後でも普通に日比谷線を使う人たちの姿が印象に残っています。麻痺しているのかあきらめているのか。