2005年05月23日

●代官山アパートメント 1996

 同潤会のアパートメントシリーズの中でおそらく1、2を争うほど有名な計画でしょう。竣工は1927年です。銭湯や食堂は地域の名所として外部の人にとっても親しみのある場所でした。写真の日付は1996年8月12日です。当時は代官山にある設計事務所に勤めていたのですが、取り壊されると聞いてあわてて見に行きました。「さよなら同潤会代官山アパート展」というイベントの最終日だったのですが、そこは既に生活の場ではなくアートワークを展示する廃墟でした。生活の場があっさりと消滅することに驚きました。在るうちにもっと観ておかねば。

 大きな木々の中に散在する建物。「古き良き」を画に収めようと思って歩き回りました。今思うと、もっとイベントを楽しめば良かった。
daikanyama_19960812-1.jpg

 建物外観。意匠的にあまり古いとは思わないのは、時代が一回りしたのか、それほど進歩していないからなのか気になります。
daikanyama_19960812-2.jpg

 いくつか公開されていた内部の一つ。緑の近さが印象深いです。住んでみたかった。
daikanyama_19960812-3.jpg

Posted by mizdesign at 2005年05月23日 08:26
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? 032 色あせた風景の中で from たまゆらデザイン日記
一昨日東武東上線の沿線の某地へ出かけました。 1年半ほど前からその地域に関わる、ある販促物に携わってきたのですが、他のスタッフに同行する機会に恵まれて、やっと... [続きを読む]

Tracked on 2005年05月29日 05:52
コメント

20年前によく通りかかった表参道もですが、代官山の同潤会がいちばん思い入れがあるかもしれません。
再開発の一貫だと思いますが、一時期「代官山」駅が改装工事のために渋谷寄りの仮駅舎だったころから約10数年(間に別地域へ移籍していた約3年がありましたが)あの近辺に通っていました。建物は当然としても木々の緑まで、跡形もなく根こそぎ街を消し去ってしまったという印象が拭えません。哀しすぎます。代官山アドレスに様変わりした後、しばらくして事情により私も代官山から去りました。
しかし、こうして懐かしい風景を拝見できて嬉しく思います。ありがとうございました。

Posted by tsukinoha at 2005年05月23日 18:25

ぼくは、設計事務所に勤めているとき、樹木は「記憶を継承」するものと教えらました。というのも建築を設計したい仕事(スクラップ&ビルドさ)なので。
 でも、現実の開発はすべてが容赦ない。建築学会では「都市建築」がどうのこうの、と提言したようですが、30年遅いぜ。と、思わされます。

Posted by 佐藤K(KAZZ Satoh) at 2005年05月24日 02:23

tsukinoha様>
 先日、若い人に代官山といえばアドレスといわれてショックを受けました。世代交代は確実に進んでいるようです。代官山駅周辺は昼食を食べに良く行きました。この頃いたのなら、昼時にすれ違ってそうですね。

佐藤K様>
 再開発が容赦ないのはその通りなのですが、バブルがはじけてなお開発が進む現況に「建築計画」が全くついていけてない気がしてなりません。不動産の証券化が進む状況を見ていると、建築と経済を結びつける分野がそのうち必要とされるでしょうが、建築側から積極的にモノを言わないと経済側にいいように論理を組まれそうです(これが容赦なさの一因なんでしょう)。

Posted by mizdesign at 2005年05月24日 06:42

建築学会の先生方々も、自分たちの意見がちっとも社会に影響を与えていないことを嘆いていました。昨日、建築会館のホールで。
 それで、「都市建築」のなんとかかんたらを提言となったそうです。もう、頑張れ!学識経験者たちよ!と、応援しますよ、こうなったら。
 そして、我らに仕事を!。。。これは別の話か。。。

Posted by 佐藤K(KAZZ Satoh) at 2005年05月24日 10:25

記事を拝見させていただいてから、この風景がしばらく心に焼き付いていました。ちょっと時期がずれましたが、記念にトラックバックさせていただきました。

Posted by tsukinoha at 2005年05月29日 05:56
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